2010年03月26日

「おられる」は間違った尊敬語の形式か?4+書いた後の感想

4. 結論
本レポートは、「『いる』の尊敬語は『いらっしゃる』」であるという主張を「おられる」と比較して、批判的に考察した。その結果、実際のデータを見ると「おられる」も広く使われていそうであり、かつ昔からの用法を挙げて「おられる」を完全に正当化する立場も存在することがわかった。

ただし、「おられる」を尊敬語、謙譲語@、謙譲語Aなどといった機能面や自動詞および他動詞などの文法的な特性から考えると、合理的でない部分も孕んでいるグレーな存在であることもわかった。そして、「おる」の意味を実際に即してもう少し考えるべきであるということもわかった。

このように、昔からあることにはあるのだけれども、機能面と文法的に考えればグレーゾーンの部分がある「おられる」を聞けば不快感を示す人間もいるはずである。よって、「おられる」よりも安定して受け入れられている「いらっしゃる」を使ったほうが無難ではないかと思うので、「おられる」をある程度認める形の論考を行ったが、少なくとも私は「いらっしゃる」を授業などの公の場では優先して使用するように心がけたい。

私は英語教員志望であるが、言葉を子どもに対して教える立場の人間であることには変わりはない。言葉は、英語や日本語という枠組みを超えて、人間関係を作るための橋渡しをする大事な道具である。だからこそ、「昔ながらの不条理な頑固親父理論」を振りかざしてまで保守に走ろうとする規範文法のような立場もあるし、おかしいところは変えてゆき、変化を受け入れようとする認知言語学のような立場もあるのである。

昔の人々が「言葉は言霊」と言ったように、その人と人とをつなぐありがたい道具を大事に使用し見つめる必要がある。そのために、今ある言葉や昔からある言葉を実際に即しながら繊細に捉えて、少なくとも「昔からあるから」とか「今流行っているから」と言って、何でもかんでも無批判に受け入れることはしないでおきたい。

参考文献
宮内庁(2005) 『皇后陛下お誕生日に際し(平成17年) 宮内記者会の質問に対する文書ご回答』 http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h17sk.html Accessed on August 3rd in 2008
諏訪哲二(2007) 『学校のモンスター』 中公新書ラクレ
萩野貞樹(2005) 『みなさん、これが敬語ですよ。図でよくわかる敬語のしくみ』 PHP文庫
言語生活論の講義資料

書いてみた感想
このレポートは夏休み直前、修士論文中間発表前に書いたものです。修士論文の発表を控えていたのですが、ちょっと調べてみたら結構おもしろかったので頑張って書きました。

修士論文を書くにあたって基本的な要領をつかめてきた時期なのでいろいろなことに気を遣って書いています。修士論文と比べてしまうと短いレポートですが、以下のことは守るようにしました。

1、尊敬語、謙譲語@、謙譲語Aなどの概念規定や言葉の定義をはっきりさせる。
2、一度はっきりさせた言葉の定義は恣意的に曲げたりせず、本文中での一貫性を確実に持たせる
3、過去の文献に目を通し、どのような議論が行われているかを正確に捉え、何が欠点なのか指摘する
4、実際のデータを身近なものや自分が読んだ書籍から取ってくる
5、先にあげた概念規定を実際のデータや過去の文献から照らし合わせながら、独自の論を組みあげていく

こういったことを守っていけば、基本的な論文フォーマットは固まります。特に言葉の定義や概念規定がぶれてしまうと、論がめちゃくちゃになってしまいますので気を付けました。

慣れるまでは時間がかかるし、何回すり合わせても穴が出てきてしまいますが、安定した議論を行うには上記のことはどうしても必要なことだということがわかりましたね。この知見は修士論文に大いに生かされました。
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2010年03月25日

「おられる」は間違った尊敬語の形式か?3

3. 萩野(2005)を批判する
ただし、萩野(2005)に「ゴキブリ理論」と一方的にこき下ろされて痛烈に批判されてばかりでは、認知言語学を学んだ者としてのプライドが許さないため、ある程度の反論を試みたい。萩野(2005)の「おられる」理論は、自動詞と他動詞の概念を見落としており、かつ「今」の言語データがなく、更に「言葉はかくあるべき」論に陥ってしまっており、実際に即してはいない。

3.1 二重敬語は非文法的
萩野(2005)は「おられる」の項目において謙譲語に対し尊敬語は付かないことはないと指摘している。これも「おられる」を認める観点の一つである。これは授業においても指摘されたことである。

現代の日本語では、尊敬語に尊敬語をつけた形、すなわち「二重敬語」は容認されていない。

(19) *先生が、そのようにおっしゃられていました

(19)は、「言う」の尊敬語である「おっしゃる」の未然形に尊敬の助動詞である「・・・れる」がくっついた形になっている。これは、尊敬語に尊敬語を重ねた形の二重敬語で、古典では天皇の動作に対して使われていたが、現代の日本語の文法では容認されていない。この二重敬語のように同じ種類の敬語が二つ使われた形は非文法的である。

ただし、授業では種類の違った敬語同士ならばくっつけることが出来ると認められていることが指摘された。その概念を説明するために、謙譲語@の概念が必要となる。

3.2 謙譲語@と尊敬語
謙譲語@の機能は「目的語(動作の対象)を高めること」である。その形式は、構文型ならば「お/ご〜する」もしくは「お/ご〜申し上げる」であり、尊敬語と同様に対応する専用の語があるならばそれを優先的に使うようになっている。

(20) 課長が部長にお会い申し上げました。
(21) 課長が部長にお菓子を差し上げました。

(20)、(21)はそれぞれ謙譲語@の使用例である。謙譲語@は動作の対象、すなわち目的語を高める機能を持つ。ここでは、目的語である部長を立てるために「会う」を「お会い申し上げる」、「やる」を専用の語形である「差し上げる」に語形を変えている。謙譲語Aは主語を下げる役目を持っていたが、この謙譲語@は、主語を上げも下げもせず、目的語を上げる役割を果たしている。

もしも、この文の話者が課長よりもランクが下であり課長に敬意を表したいのであれば、次のようにすれば課長を立てることが出来る。

(22) 課長が部長にお会い申し上げられました

(22)では、「お会いになる」の部分で目的語である部長を上げており、「・・・れる」の部分で主語である課長を上げている。この場合、「お会いになる」は謙譲語@であり、「・・・れる」は尊敬の助動詞である。これらは種類の違う敬語であるので引っ付けることが可能である。

3.3 謙譲語@および謙譲語Aの概念と自動詞および他動詞の関係
それでは「おられる」の場合はどうだろうか?確かに、萩野(2005)や授業で見たようにおられるも種類の違うもの同士がくっついた敬語の形なので容認されそうである。しかし、「おる」を謙譲語Aとして捉えた場合、尊敬語と謙譲語@および謙譲語Aの概念を考慮に入れると「おられる」は怪しい使用法となる。萩野(2005)が提示した(16)の文で考えてみよう。

(16) 先生は昔し、烏を飼つて居(を)られた。(夏目漱石著 『ケーベル先生』より)

(16)の主語は、先生である。これに対し「飼っておられる」と、「おられる」を使って先生を上げようとしている。しかし、「おる」を謙譲語Aとして捉えると大変なこととなる。そもそも「おる」は自動詞であり、対象を取ることができない。そういうわけで、必然的に「おる」は主語しか取らず、目的語を高める謙譲語@扱いは出来ない。ここでの主語は「先生」であるので、謙譲語A「おる」で「先生」をいったん下げている。また「おる」についている「・・・られる」は尊敬の助動詞であり、「おる」でいったん下げておいた先生をまた引き上げてしまっている。これでは、先にも述べたように動作主を下げて再び上げているのでプラスマイナスゼロの状態になり、理にかなわない形になっている。

「いる」はそもそも自動詞であり、目的語を取らない。目的語を上げるという前提を満たすには当然動作の対象(目的語)を取る他動詞でなければならないため、動作の対象を取らない自動詞は謙譲語@になりえないはずである。この点から見ると、主語を下げる謙譲語Aと主語を上げる尊敬語は同時にくっつき得ないはずである。

萩野(2005)の「おられる」理論は、自動詞と他動詞の関係を踏まえずに十把一絡に尊敬語と謙譲語はくっつくことができると言っていたが、謙譲語@と尊敬語の観念そして自動詞と他動詞の基本的な特性を考慮に入れると、その理論は短絡的であることがわかる。

3.4 今の「おる」の意味のありよう
上の私の論考は、あくまでも「おる」を謙譲語Aとして捉えた場合の論考である。先にも述べたように萩野(2005)は、「おる」をあくまでも「いる」のバリエーションと捉え、「謙譲語的に使われる場合があるだけで、いつもそうではない」と主張している。この論が通ると、これまでの議論が意味を成さなくなってしまうので、この「おる」の基本的意味も、もう少しつめて考えたい。

そもそも、萩野(2005)の主張する理論は、あくまでも辞書がベースとなっているものである。それは『岩波古語辞典』への言及を見ても明らかである。また、使用されている例文も時代が古いもののみが言及されており、最近の本の例文が使用されていない。すなわち、比較対象として最近の言語データも提示して「今の『おる』の意味のありよう」が考察されていないのである。これでは昔の「おる」の使い方はわかるが、今の「おる」の実態を考えられていないので、この論拠は不十分である。

3.5 規範文法vs認知言語学
そして、萩野(2005)は辞書を規範として言葉の意味を捉えるべきと主張している。そうでなければ、世代間で言葉の「意味」の捉え方が変わってしまい、コミュニケーションが成立しえなくなるからだと、規範を押し付けた形で認知言語学への批判を展開している。

しかし、この規範文法の理念、「・・・べき」論はその「・・・べき」を立証するための根拠が全くない。むしろ「昔からこうだったのだから、それに無批判に従うべきである」もしくは「日本語とはこういうものなのだから、我々もそれを無批判に受け入れろ」という、年長者の権威主義に乗っかった保守的な単なる「押し付け」である。もちろん、規範というものは必要であることは認めるべきであるが、その「・・・べき」を押し通すにも一定の根拠が必要である。

そして、「変化が起る」ということにも、そこにある一定の理由があるわけで、それが理にかなっていれば許容されるべきである。その理にかなった理由や根拠があるにもかかわらず「昔からの方法でこうあるべきだ」と押し付けるのはナンセンスである。その理由および根拠や事例を蓄積させて一般化させてこそ規則に意味があり、その意味を考えるのが「認知言語学」、ひいては生成文法なども含めた言語学全般の役目の一つである。無批判に変化を受け入れろと主張しているわけではない。規範文法は、事実を一般化させることなく、昔からあるルールを無批判に受け入れ、今の変化を徹底的に否定し、「・・・べき論」を展開している。これではあまりに保守的であり、そこには理にかなわない昔ながらのルールを野放しにしてしまう危険性がある。

萩野(2005)は、認知言語学を家にいる、ゴキブリを自然の変化だと主張し正当化して野放しにしておく「ゴキブリ理論」であると隠喩を使って揶揄したが、こうやって考えていくと規範文法は、そこにあると邪魔な場所にずっと物が置かれているのに、昔からそこにあるからと言って絶対にそれを動かそうとしない「昔ながらの不条理な頑固親父理論」である。

3.6 今後の研究への示唆
少々、議論が横にそれて抽象論と揶揄が過ぎてしまったが、この「おる」の意味はもう少し煮詰めて考える必要がある。今ではコーパスの技術も発達しているので、様々な年代や文脈、更に最近の言語データを集め、「おる」の意味を事実に基づいて一般化し、考え直す必要がある。レポートの範囲を超えるので、そこまではやらないが、これは調査し白黒はっきりさせる価値があると思われる。

「『いる』の尊敬表現は『いらっしゃる』のみである」と言い切った主張は、実際の側面のみを見れば誤りに見えるが、「おられる」という言葉自体のほうも謙譲語と尊敬語の概念を考慮に入れると存在しにくいものである。こう考えると、少なくとも「いらっしゃる」のほうが「おられる」よりも安定した尊敬語の語形だとわかる。
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2010年03月24日

「おられる」は間違った尊敬語の形式か?2

2. 「おられる」の使用の実際
以上が、授業内でなされた解説であったが、この解説に一石を投じるためにここからは具体的な発話例および書き言葉の例を見てみよう。実際の事例を見ていくと、「おられる」が書き言葉や公的な文脈で地域や年齢に関係なく使われていることがわかる。

2.1 実際の発話の例
私のよく使うバスの中で、このような録音のアナウンスが流れる。

(12) 次は西宮名塩です。この駅は、降車専用の駅となっております。お降りになるお客様がおられない場合、通過させていただきますのでご注意ください。

自分と同年代の若者が、「いる」の尊敬語として「おられる」を使っていれば、若者にありがちな、いわゆる「日本語の乱れ」としてしか捉えかねられない。しかし、これは録音で放送されているバスの定型アナウンスである。上の理論に従うと、これではバス会社をあげて尊敬語の使い方を間違えていると考えざるを得なくなってしまう。

ただし、関西圏に住んでいる私の使うバスは当然「いる」を「おる」と捉える地域を走っているので地域性の観点から見ればこの使用は間違いではない。

2.2 書き言葉における例
私の若者以外の敬語で聞いた発話の例は上の1つだけであるが、新書や公文書などの書き言葉の世界の中では「おられる」の使用が見られた。いくつか例を挙げよう。

(13) (夜回り先生が実践していることについて)このことが圧倒的にすごい。つい、氏への言説も控えがちになる。水谷氏のやっておられる行為のモデルを求めるとすれば、キリスト教の歴史における聖人しか見当たらない。(諏訪哲二著 『学校のモンスター』 p.205より)

この『学校のモンスター』を著した諏訪哲二氏の出身地は関東の千葉県生まれで、埼玉県を中心にして教職活動に従事なさっていた方である。しかも、彼は1941年生まれでとても「若者」といえる年齢ではない。つまり、「いる」を「おる」として使う関西圏に住んでいるわけではなく、かつ年齢が高いにもかかわらず、この「おられる」を平然と本の中で使用している。

これだけにとどまらず、宮内庁 (2005)の『皇后陛下お誕生日に際し(平成17年) 宮内記者会の質問に対する文書ご回答』においても「おられる」が使用されている。

(14) 戦没者の両親の世代の方が皆年をとられ,今年8月15日の終戦記念日の式典は,この世代の出席のない初めての式典になったと聞きました。靖国神社や千鳥ヶ淵に詣でる遺族も,一年一年年を加え,兄弟姉妹の世代ですら,もうかなりの高齢に達しておられるのではないでしょうか。
(15) ご一家のご様子についてとともに,皇后さまは皇室の現状とその将来についてどう感じ,どう願っておられるかをお聞かせください。

(14)は、記者の質問に対しての皇后陛下からのやんごとなきご回答で、(15)は記者の質問である。これらは東京に本拠を置く宮内庁の公式サイトからの引用である。当然、やんごとなき方々のお書きになった「公文書」であり、記者側も日本を象徴する一人である皇后陛下に「おられる」を使っているのである。

これら2つの例を取り上げると、「おられる」は関西独自の尊敬語ではなく実は広く使われているのではないかと考えられる。となると、「『いらっしゃる』のみが『いる』の尊敬語である」という論の旗色が悪くなってくる。

2.3 「おられる」を擁護する立場
実際の事例を見ると、「おられる」が案外地域や文脈に関わらず受け入れられているが、「おられる」を全面的に認めている学者がいる。萩野(2005)は規範文法の立場に基づき「おられる」は何の問題もない尊敬語であると指摘している。

まず、「おる」は「謙譲語的に使われる場合のある語」に過ぎないと指摘している(萩野, 2005)。そもそも、「おる」が謙譲語A扱いになったのは『岩波古語辞典』が「おる」は自分の動作に使えば卑下、他人の動作に対し使えば蔑視の意味となると主張して以来だとし、それ以後「おる」を謙譲語として使う辞書や書類が増えたと主張している。しかし、これは単なる「拡大解釈」が広まった結果であり、あくまでも「おる」は「いる」のバリエーションに過ぎないと指摘している(萩野, 2005)。

それを証拠付けるかのように、萩野(2005)は昔ながらの書籍から「おられる」が使用されていることを指摘している。

(16) 先生は昔し、烏を飼つて居(を)られた。(夏目漱石著 『ケーベル先生』より)
(17) あなたの覚えてをられるのはどういふのが一等優れて・・・(折口信夫著 『難波の春』より)
(18) 涙ぐんでをられたこともありましたが(谷崎潤一郎著 『少将滋幹の母』より)
(萩野, 2005)


この観点から見ると、「おる」は地域に関係なくあくまでも「いる」の一つのバリエーションに過ぎず、いつも謙譲語として扱われるわけではないことがわかる。よって、宮内庁の公文書でおられるが使用されていたり、関東出身で年配の諏訪哲二氏が「おられる」を使っていたりしたことにも合点が行く。

このようにして萩野(2005)は、認知言語学を支持する学者達の敬語理論や他の理論を、「言葉の乱れ」を「言葉の変化」と主張して正当化する「ゴキブリ理論」と痛烈に批判し、なおかつ敬語の理論をややこしいものにした元凶であると徹底的に批判し、「おられる」は正しい敬語であると主張している。
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2010年03月23日

「おられる」は間違った尊敬語の形式か?1

去年前期に趣味で受けた「言語生活論」の最終レポートをアップします。長いレポートになってしまったので章ごとに切ってアップします。

レポートテーマ:授業で議論した事項や他の文献で議論されていることを実際の発話データを元にしながら批判的に考察せよ(枚数・フォーマット自由)

「言語生活論」の授業内おいて、敬語と謙譲語の機能と言語形式について考えた。その中で、私は先生に「日常生活の場で、『いる』の尊敬語として『おられる』」がよく使われていることを指摘した。それを受けて、「おる」を「いる」と表現する地域があるにはあるが、基本的に「いる」の尊敬語は「いらっしゃる」であるという結論が提示された。本レポートは、授業で扱われた敬語と謙譲語の概念と実際の発話や本の事例を比較して、「『いる』の尊敬表現は『いらっしゃる』のみである」という主張を批判的に考察する。

1. 授業のおさらい
1.1 尊敬語と謙譲語Aの機能

尊敬語の機能は、「主語(動作主)を高める」ことにある。具体的に例を挙げると(1)のようになる。

(1) (生徒の発話)校長先生が教室にいらっしゃいました

(1)の場合、「来る」動作を行ったのは校長先生である。当然、生徒から見れば校長先生は目上の人間である。よって、校長先生を立てるために「来る」ではなく「いらっしゃる」という言葉を使用している。

尊敬語は主語を高める機能を持つため、一人称に対しての使用と外部の人間に対して身内の人間を高めることは出来ない。

(2)
(a) *私は、大学を去年卒業なさいました
(b) (取引先の相手に対して)*部長は、朝7時にいらっしゃいます

一人称、すなわち自分や身内の人間を動作の主語にする場合は謙譲語Aを使用することになる。謙譲語Aの言語機能は「主語(動作主)を低める」ことにある。上の例を使用するとこのようになる。

(3)
(a) 私は、大学を去年卒業いたしました
(b) 部長は、朝7時に参ります

このように動作主を下げることによって聞き手への敬意を表すのが謙譲語Aの機能である。

1.2 特殊な形を取る語
尊敬語の形式は、助動詞型と構文型に分けられる。助動詞型は「〜られる」、構文型は「お/ご〜になる」、「〜なさる」、「お/ご〜なさる」、「お/ご〜下さる」という形を取る。「お」と「ご」の使い分けは、「お」は基本的に大和言葉につき「ご」は漢語に付く。

(4)
(a) 先生が大臣をお待ちになる
(b) 先生が私達に英語学についてご説明くださった

しかし、尊敬語には英語における過去形の不規則活用のように上の規則に当てはまらない動詞がいくつか存在する。

(5)
(a) 「言う」→「おっしゃる」 先生がそのようにおっしゃいました
(b) 「食べる」→「召し上がる」 先生は昨日、あんみつを召し上がりました

また、「いる」もこの種の不規則活用に該当する言葉である。

(6)
「いる」→「いらっしゃる」 私のゼミの先生は構文論を研究していらっしゃいます

語彙的に対応する専用の語がある場合、必ず専用の語形を使わなければならない。よって、以下のようなものは文法上誤りとなる。

(7)
(a) *校長先生がそのように言われました
(b) *先生は、昨日あんみつをお食べになりました。

「いる」も対応する専用の語が厳密に決められているため、「いらっしゃる」以外の尊敬表現は存在しないことになる。

一方、動作主を下げる謙譲語Aの形式は以下のようなものが授業にて取り上げられていた。

(8)
(a) 「する」→「致す」 昨日、私は夜10時に宿題を致しました
(b) 「言う」→「申す」、「申し上げる」 先生に私の考えを申し上げました

授業資料においては明記されていなかったが、私が質問したときに先生は「いる」の謙譲語Aの形式は「おる」であるとお答えになった。

(9) 生成文法理論については、私は反対の立場を取っております

このように、尊敬語には動詞を規則的に当てはめればいいものと、専用の語形を持つものが存在し、謙譲語Aも一定の語形が存在することが授業で提示された。

1.3 「おられる」は何故尊敬語ではないのか?
上記の理論によれば、「いる」の尊敬語は「いらっしゃる」という専用の語形があるので、その時点で「おられる」はありえないということになる。しかし、それだけではあまりに短絡的なので、ここでは語形と機能の両方の観点についてもう少し細かく「おられる」を考察してみたい。

まず、語形については文法上何の問題もない。「おられる」の語形は、動詞「おる」の未然形に尊敬の助動詞「・・・れる」が付いた形となっている。これは日本語の文法においては理にかなった形である。

(10) 「おる」+「・・・れる」→「おられる」

しかし、問題になるのはその機能である。まず、「おる」は「いる」の謙譲語Aの語形で動作主を下げる機能を持っている。その動作主を下げた状態で、尊敬を表す助動詞「・・・れる」が使用されると、いったん動作主を下げておきながら、また動作主を上げるプラスマイナスゼロの状態になってしまう。つまり、相手を下げたいのか上げたいのかわからない。よって、「おられる」は機能面から見ると存在し得ない言葉となってしまうわけである。

(11) ?/* 私のゼミの先生は構文論を研究しておられます

ただし、西日本では「おる」は「いる」のバリエーションとして捉えられており、謙譲語であると認識されてはおらず、その地域については「おられる」が通用すると、先生は授業の中で指摘されていた。そういうわけで、おそらく先生は授業資料に「おる」をあえて明記されなかったと考えられる。

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2010年03月08日

教材作りと教材使用の創意工夫

大学院での最後の授業になった小学校英語教育論演習の課題レポートを掲載します。

去年も飛び入りの聴講で本講義を受講し、Whole Languageの理論やその実践の一端を学ぶことが出来た。今年の授業では、キャンパスの場所が変わり山の中から都会の真っ只中で授業を受けることになった。環境の変化に伴い、同じ活動をやっても去年とは一味違った学びを得ることが出来たと思う。

教材を作ったり、教材を使用したりすることに際して必要なことは、目的をはっきりさせることがまず必要だと感じた。つまり、何のためにこの教材を使うのか、そのためにはどのような教材が必要なのかということを常に頭の中で考えておく必要があると思う。このことは、小学校だろうと中学校だろうと高校だろうと同じ事で、生徒に「何を伝えたいのか」ということを念頭に置くことが大事である。

今回新たに追加されたのが、写真撮影のアクティビティである。本キャンパスの山の中だと、自然が豊かということで、自然をテーマにした撮影も可能だが、街中にもかなりの素材が隠されていることが今回のアクティビティを通してわかった。

また、写真を撮る際の留意点としては、動作や状態が一目で見てわかるものを撮るように心がけるべきであるということも頭の中に入れて撮影したい。どうも自分は凝り性なところがあって、ついつい関係のない変な方向に力を入れてしまうという悪癖があるので、この点は留意したいところである。

フラッシュカードを使用するということももちろん可能だが、毎回毎回やると生徒側も飽きが来るだろうと思うので、外に出かけたときに授業で使えそうな光景を見つけて、撮影をする機会があったら写真を用意して使用してみたいと思った。

ビデオ作成は去年もやったが、去年は学校紹介という側面が強かった。今回は、劇仕立てのビデオだったり、クイズ形式の劇だったりとバリエーションに富んでいたと思う。クイズ形式のビデオを作成する場合は、部分だけをズームした映像で”What is this?”と尋ねておき、答えを提示するときはあえて単語を言わずに、ズームアウトした映像だけを見せるという映像の作成手法を使用しているグループもあった。この場合、教室内にいる教員が映像のズームアウト時に、答えを英語で提示してあげれば良い。

また、子どもたち側もズームしている最中の映像では何の拡大画像か興味を引き出しグループで話し合わせるなりして考えさせ、ズームアウトして答えがわかっても、今度は「英語で何と言うのだろう?」といった具合に言語への興味を引き出す機会になりそうである。映像で教材を作る場合、さまざまな形の教材が作れるので、かなり奥深い。

教材は特段凝ったものでなくても、身近なものでも十分使用に耐えることができるということを、授業を通して学んできたが、その身近なもののひとつである新聞は非常に使い勝手の良い教材であることもわかった。さらに、オリンピックなどの大きなイベントがあるときの新聞は格好の話題の宝庫であるということこちらが生徒への話題提供のために使用するだけでなく、生徒に新聞の切り抜きを用意させてスピーチをさせる話題の提供もできそうである。小学校〜中学校レベルにおいては、日本語の新聞でも十分に言語材料になることができるし、児童生徒に新聞を読んでもらう機会作りも可能そうである。また、高校レベルともなればJapan Timesなどの英字新聞も活用し、より高度な英文を読ませるということもできそうである。

よく英語の授業で使用されているゲームであるが、この授業では何の考えもなしに安易に使用しないほうがよいということが分かった。まず、Hangman Gameであるが、私はこのゲームを大学3年生でオーストラリアに留学した時まで知らなかった。やはり、首つりの絵を描いていくという行程が教育上よろしくないためだと思うが、授業というのはただ知識を学ぶ場ではなく、同時に生徒指導の場でもあり、道徳を教える時間でもあるということを認識し、それにかなった絵柄を使うなりしなければならないということを再認識した。

また、この授業でゲームが積極的に推奨されていないのは、ゲームをただやって終わってしまうからということが一つにあると感じた。ほかの授業で、ゲームをやるのは生徒に目標表現を使用させたり、Interactionを発生させたりするためだと学んだが、それでも、ゲームという「操作された」環境下での言語使用となってしまうのは否めない。Whole Languageの理論は意味のある環境の中で、実の場を重視しているが、ゲームを使用してしまうと、その目指すところの理念が達成できなくなってしまう。

いずれにせよ、授業の最大の目的は生徒の英語でのコミュニケーション能力を育成することにあるのだから、そのことをよく考えなければならない。それと同時にAuthenticな言語使用を行わせるには、どのようなアクティビティを組めば良いかよく考える必要があると思った。

校種を問わず、授業においては自分の使う教材をよく吟味し、目標に沿って工夫して使用することが非常に大切である。自分は高校の教員を目指しているが、複雑な文法事項を、教科書を中心にして教えていくことになる。今回の授業を通して、身近なものでも教材になるし、教材をうまく活用すればいろいろなことができることを学んだ。教科書を使用したとしても、生徒に飽きさせず、着実に新しい表現を覚えてもらい、コミュニケーション能力の育成を出来るような授業を行えるようになりたいと思う。
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2010年03月07日

ゼロ、親衛隊隊長紅月カレン、ただいまを以って戦線に復帰しました!

ギャラハッドに続いてようやくROBOT魂 紅蓮聖天八極式のコラムの登場です。

今回は、よく売れた製品ということでそのあたりの流れだとか、各種ギミック、メカ設定など書くことが結構あったので劇中再現と同等の比率でコラムができました。

劇中再現は、エナジーウイングのクリア部分が取れることを利用して出撃前の紅蓮聖天八極式も再現できるので、出撃シーンとランスロットを追い詰めるところに力を入れています。

次はランスロットアルビオンを書こうと思います。それがそろったら、EXコラムの執筆に移りたいと思います

というわけで、ROBOT魂 紅蓮聖天八極式のコラムをお楽しみください。

ROBOT魂 紅蓮聖天八極式のコラムへ
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2010年03月04日

オッス!オラ、悟空

S.H.Figuartsのコラムが続きます。前回のピッコロの続編ということで、S.H.Figuarts スーパーサイヤ人 孫悟空の登場です。内容としては、キットレビューとキャラクター紹介、そしてピッコロのコラムでやったなのはとのコラボレーションの続編を掲載しています。

言わずと知れたドラゴンボールの主人公ということでこの人は外せませんね。Jtrimの超新星機能は結構用途が広く、かめはめ波のモーションの再現にいいエフェクトをくれています。

通常版が出た場合は、おそらくこのコラムに書きたすことになるかと思います。入手できた場合、更新するつもりとのことです。

というわけで、S.H.Figuarts スーパーサイヤ人 孫悟空のコラムをお楽しみください。

S.H.Figuarts スーパーサイヤ人 孫悟空のコラムへ
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2010年03月03日

通りすがりの仮面ライダーだ!

HUYU君の新作コラムは、S.H. Figuarts 仮面ライダーディケイドです。

今回のコラムは非常に欲張った形になっており、素体が同じなためディケイドとディエンドを同時に紹介し、かつディケイドのパワーアップ形態であるコンプリートフォームも紹介しています。

アクションフィギュアは素体が同じだけあり、ギミックが共通している部分が多く回数を重ねていけばいくほど書きにくくなります。最近はこのように同作品のキャラクターを同時に紹介する形でごまかしていますが、何とかしたいですねえ。

というわけで、S.H. Figuarts 仮面ライダーディケイドのコラムをお楽しみください。

S.H. Figuarts 仮面ライダーディケイドのコラムへ
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posted by ブラック・マジシャン at 04:46| 兵庫 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ホビー&コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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