中盤にさしかかったので、ここまでの話でわかる部分を考察していきます。
アニメと実写のドラマと特撮の融合最初立花やアカネのデザイン見て「あざといな」と思ったり、フェチな描写や抱き枕など順調に萌え豚を狙ってきていて「あざといな」と思ったりしていますが、アニメファンを取り入れるにはこうするしかないみたいですね。
ただ、ボイスドラマを聞いたり1話からの演出を見ていたりすると、実写寄りの描写に力を入れていることがわかります。1〜3話は日常パートは環境音だけで状況を説明していますし、背景美術も実写を取り入れたかのようなリアルさがあります。また、高校の先生をしているのでわかるのですが、今時の女子高生はあんなもんです。特に大きな問題は起こさず、グループを作ってなれ合っている感じ。また、ボイスドラマでクラスメートの噂話してるのも本当に描写が女子高生のそれです。
キャラデザはアニメのそれですが、中身はリアルでギャップが生まれてるんですね。だから見ていて面白さを感じるんです。
また、戦闘シーンも圧巻でCGのメリットと手描きのメリットをバランスよく配置しています。グリッドマンのデザインは線が多く複雑なデザインで、手描きではなかなか動かせないというところを、アクションはCGに任せることで着ぐるみヒーローらしさや激しいアクションができています。怪獣の描写も中に人が入っていることを意識した動かし方で特撮へのリスペクトがあります。
また、合体シーンや必殺技は往年の大張氏を意識した作画で、しかも勇者シリーズやエルドランの合体シーンを意識して手描きでバンクを作っています。手描きの場合、デフォルメの効いた作画をすることができるので幅が広がるんですね。もちろんセンスや手間が半端ないのですが、見ていて飽きないバンクシーンになっています。
フィギュア王のインタビューでもDN作画という役職を作ったり、ヒロイック作画という役職をあえて作っていると明言していますからね。特に90年代への作品のリスペクトは半端ないです。
欲を言えば、グリッドビームにもっと活躍してほしい。グリッドビームはウルトラマンで言うところのスペシウム光線みたいなもんなので、技がころころ変わるのは個人的に落ち着きません
アカネの感じている孤独は今の高校生の年代が抱えている問題アカネが世界を作っていることがアノシラスから語られていますが、これもなかなかです。10年前から言っていますが、今の子供はコミュニケーション能力(同年代同士での人間関係を構築する力)は高いです。ただし、それと引き替えに、空気を読み合い相手に合わせて自分をうまく表現できないという課題も抱えています。友達関係が地獄になるという友達地獄ですね。
アカネはクラスで容姿端麗、カーストの上位という設定になっていますが、その実気にくわない人間たちを怪獣たちで消しています。彼女は世界の創造主で、周りの人間たちから認められているはずなのに孤独なんですよね。その孤独を埋め合わせるように気にくわない人間たちは怪獣で消していく。でも満たされないという苦しい状況にあります。
本当はアカネは、怪獣好きな自分を認めてほしいという欲求があるんでしょうね。六花との関係も気になるところです。
この点は、1990年代の武史と正反対です。90年代までの友達像は、仲良くなりたいけれど自分が出せずに根暗になるというものですが、2010年代の友だち像は一見根明に見えるけど本当は寂しいという点が違います。承認欲求の現れ方が明らかに1990年代と違うのが面白い。
2010年代のヒーロー像とは?今気になるところは、アカネがグリッドマンたちと交流することでどのように成長するかです。武史は直人たちと交流することで自分の殻を破ることを知り、他人と交流を持つように成長しました。武史の場合はどこか憎めないところもあったり共感できるところもあって一概に悪いやつではなかったんですよね。
アカネに関してはやっていることは、許されないことなんですけど、アカネをやっつけてしまうのか、なにがしかの形で救うのかが気になるところです。
1990年代の作品を見ると子供に向けた情操教育を特撮やアニメヒーローが兼ねていたところがあります。グリッドマンは、ただ怪獣を倒す正義のヒーローではなく、人の心を救うヒーローでもあったんですね。たとえば偽アノシラスの回では精神的な理由で歩けなくなっていた少年に歩けるよう励ましたり、最終回で武史を改心させたりと子供に向けたメッセージ性が強かった。また、ゴッドタンクが登場した話では電子マネーの危険性を1990年代にして描いた上で、「お金で人の心は買えないよ」というメッセージを出していました。子供を見ていることを意識してヒーローを通じて教育しているんですね。
しかし、2000年代から価値観が多様化し、平成仮面ライダーみたいな個人の正義と個人の正義がぶつかり合う複雑怪奇なストーリーが受けるようになりました。これも時代の流れですし、サブカルチャーは人間の精神性を映し出すところがあるので致し方ないところなのですが、今のグリッドマンは当時の形に立ち戻ろうとしています。
アカネの孤独をどのように解決するかが見物です。解決したら神作認定確実ですがね。
グリッドマンのコラムについて11月はスーパーミニプラのグリッドマンが出ますので特撮を振り返るような形で書く予定です。もちろん、ACTの時にできなかった合体シーンは力入れてやります。ゴッドゼノンもちゃんと合体させたいですね。
現行のシリーズは1話目にして終盤を作成しているという例にならい劇中パートは早めに書いて、製品が出次第撮影していくという形で作れないかと考えています。アシストウェポン1個ずつでコラムを書かないといけない分量の濃さですので頑張りたいですね。DXとActi-builderは両方買いますので、片方が出次第撮影、その後にもう片方も追記する形がとれればと思います。
なんとかやるやる詐欺で終わらないように頑張らないとなあ。
posted by ブラック・マジシャン at 22:02| 兵庫 |
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