2010年代のヒーロー像とは?その解答は普遍的なヒーロー像
6話の時の考察で、グリッドマンは今の時代にどのようなヒーロー像を提示するのかと疑問に思っていたのですが、最終回は見事な解答をしてくれました。前にも述べたように、グリッドマンはただ怪獣を倒すヒーローではなく人の心を救うヒーローだと述べましたが、まんまその通りが今回の解答です。
21世紀に入り、宇野常寛の言葉を借りれば「個人の価値観のバトルロワイヤル」の時代になってしまいました。価値観が多様化されたけれども、その価値観同士がぶつかり合い、ゲームに勝ったものが生き残る殺伐とした時代になってしまいました。そんな潮流を受け、平成仮面ライダーがバトルを繰り広げている一方で、グリッドマンは価値観がいかに多様化しても変わらない普遍性を打ち出しました。
「小さな存在であっても、
苦しんでいる人を救う!
それがヒーロー」
苦しんでいる人を救う!
それがヒーロー」
グリッドマンはツツジ台とアカネを救いましたが、これは別に全世界の人間の命がかかっているわけではないんですよね。SSSS.GRIDMANはアカネという少女の小さな存在を救った小さな物語に過ぎない。けれど、どんなに小さな存在であっても助けてくれる。それがグリッドマンでした。
アンパンマンを作ったやなせたかしも同じようなことを述べています。やなせたかしは、第二次大戦の時、「正義のための戦い」だと周りに言われ、戦地へ向かいましたが日本は敗北を迎え、自分が信じていた正義はひっくり返りました。その経験を受け、やなせたかしは「献身と愛、すなわち目の前にいるおなかのすいた人に食べ物を与えることは変わらない正義だ」という信念の下、アンパンマンを作り出したというのは有名な話です。
その流れをグリッドマンは組んでいました。現に、特撮時代の倒すための必殺技はアレクシスには通じず、修復に使われていたフィクサービームが決め手になりましたからね。特撮時代は武史の組んだ破壊プログラムによるグリッドハイパービームでカーンデジファーを消滅させましたが、アレクシスは封印しました。
武史のカーンデジファーの否定=グリッドハイパービームだったのが、今作ではフィクサービームによる修復が決め手となっており、これはうまい対比構造でした。グリッドハイパービームは武史の「今までの自分の否定・乗り越え」=「成長」のメタファーだったのが、フィクサービームの「修復する力」=「他者を救う」という構造に変わってるんですね。
価値観が多様化し何が正義かはわからない。けれど、目の前の苦しんでいる人に手を差し伸べる。それはどこへ行っても変わらない正しいことだ。正義は簡単にひっくり返るが、空腹の人に食事を与えることは変わらない正義であると考えたやなせたかしと同じ発想です。
Special Signature to Save a Soul
1クールという短い期間でありながら、ここまで示唆に富んだ話を見れてとても幸せでした。それが自分が子供のころ見ていたヒーローがよもやこんな形で帰ってくるとは思いもしませんでした。
グリッドマンは特撮界隈では「早すぎた名作」と言われていますが、世間的には認知度が低いヒーローです。今から見れば「おっ!」と思う話もありますが、良くも悪くも昔の牧歌的な低予算の作品でした。認知度ではやっぱり仮面ライダーやウルトラマンには勝てませんしね。
しかし、そのヒーローが現代社会の現実認知をしながらも、肯定的な価値観を提示してくれた。そして、それが多数の人の心に届いたというのが素晴らしいです。多数の人の心に届いた証拠に、最終回放送時はTwitterのトレンドで1位、しかも世界では2位の座を得ています。これってすごいことですよ!
SSSS.GRIDMANは、毎回毎回ホームランかヒットを連発し、最後の最後で満塁場外ホームランを放ってコールド勝ちした勢いのアニメでしたねえ。こんな気分味合わされたの初めてです。
25年の時を経てこんな形で帰ってきてくれて本当に感謝です。制作してくださった雨宮監督、Triggerの皆さん本当にお疲れさまでした。感動と素敵なメッセージをありがとう!