2009年01月23日

認知言語学と英語教育 〜構文文法の見地から〜 1

大学院の授業で行った発表をアップします。長いので2つに分けます。

学部と本大学院の授業を通して、英語学を学んできた。それを通して、言語というものの見地は様々なものがあり、いろいろな議論がされていることがわかった。しかし、生成文法の理論や認知言語学の理論が教師にとってどのように役立つのか、個人的にわからない部分がまだ多い。そこで、本発表では認知言語学の理論を生成文法との違いにふれながら、とりわけ「構文文法(Construction Grammar)」(Goldberg, 1995)に焦点を当て、生徒に文法を教える際に、どのように役立ち応用可能か一考する。

1. 認知言語学とは
1.1 生成文法との違い
認知言語学の言語観は、Chomskyの提唱する生成文法のそれと大きく異なる。ここでは、認知言語学と生成文法の言語観の違いを概説する。

1.1.1 UGかUBか
Chomskyの生成文法理論 (Generative Grammar)の枠組みでは、人には誰しも一般的学習能力とは別に普遍文法(Universal Grammar; UG)が先天的に脳の中に備わっており、それを元にしてパラメータを設定し個々の個別言語を習得するとされている。また、その言語習得モデルであるUGを記述しようということも目標としている。

それに対を成す形で提唱されている言語理論が、認知言語学(Cognitive Linguistics)である。この枠組みは、人間の言語の習得を認知に関わる様々な能力と、それを元にした概念化に基盤を置いた言語学の考え方である(吉村, 2003)。

生成文法において、言語習得の普遍性を一般認知能力とは独立したものと位置づけたUGに置いたのに対して、認知言語学においては用法基盤(Usage Based; UB)の立場をとっている。つまり、言語習得の普遍性を独立したモジュールを設定せずに、一般的学習能力で説明しようとしているのである(吉村, 2003)。

1.1.2分析の出発点 −統語構造が先か、意味表現が先か−認知言語学と生成文法の大きな違いは、言語の分析の起点が違うこともあげられる(児玉, 2003)。

(1) 分析の出発点(児玉, 2003)
a. 統語構造→意味表現(Chomskyの理論)
b. 意味表現→統語構造(生成意味論、認知言語学)


生成文法の分析の出発点は(1a)の立場をとる。この立場は、統語論は意味論に優先すると考える。つまり、文の形が先に規定されなければ意味表現の規定は出来ないという立場をとっている。その根拠は以下のとおり。

(2)
a. Cleopatra gave the boy to the slave.(クレオパトラはその少年をその奴隷にあげた)
b. The boy gave Cleopatra to the slave.(その少年はクレオパトラをその奴隷にあげた)
c. The slave gave Cleopatra to the boy.(その奴隷はクレオパトラをその少年にあげた)

以上の文から見ればわかるように、語順が変われば奴隷・クレオパトラ・少年の受益関係と移動関係に変化が見られる。つまり、語順を最初に規定できなければ意味を固定化することはできないのである。このように、生成文法の枠組みにおいては、統語論が自立的なもので、意味論は解釈的で統語論のアウトプットから意味分析が始まる(児玉, 2003)。
一方、認知言語学が分析の出発点とするのは(1b)の立場である。意味表現を分析の起点にする根拠は、児玉 (2003)によると、そもそも言語が人間の伝えたい思い(意味)をあらわすものとすれば、究極的には形式は意味に動機付けられるはずと考えられるからである。つまり、意味(言いたいこと)が先になければ、言葉は存在し得ないと考えているわけである。

かといって、意味表現が常に統語構造に優先すると全面的に考えられているわけではない。(1b)の立場は、意味表現にもある程度の自立性を認めて、意味論と統語論が相互に影響しあうという考え方をとっている(児玉, 2003)。このように、分析手法一つをとっても大きく二つの立場があり、どちらが正しいのか一概には言えない。

この「用法基盤の言語観」と「意味を大切にする」という生成文法との前提条件の違いを考慮に入れて、議論を進める。

1.2 認知言語学における「意味」
認知言語学において、意味とは概念(イメージ)であると考える心理主義的意味論の立場を取っている(吉村, 2003)。人間が世界を捉えるとき、そのままの状態で客観世界を捉えることはしていないし、不可能である。その例として、次の日本文を考えてみよう。

(3) 新幹線の開通により、東京と大阪の距離が近くなった。

(3)は正しい文であるが、現実の世界では東京と大阪の物理的距離は近くなっていない。ただ、速く東京と大阪に行けるようになったというだけである。しかし、心の中では「新幹線の開通で東京と大阪に速く行きやすくなった」という事態を捉えなおし、それを「大阪と東京の距離が短くなった」、「両地点の距離が近くなった」ように感じている。そのプロセスを経て、(3)の言語形式でその事態を言語表現化しているのである。

このように、人間は五感を統合的に使用し事態を捉え、その事態を一度心の中で捉えなおし、再構成して理解する。このような事態の捉え方、判断、記憶を含んだ「脳内で行われる情報処理活動の全て」を、認知と呼ぶわけである(吉村, 2003)。

この見地から概念とはある物事や出来事を知覚、認識したときに心の中で行われる情報処理(認知)の結果、心の中に浮かんでくるものと考えることが出来る。それを記号化したものが、言語なのである(吉村, 2003)。

1.3 スキーマ
意味とは概念であることがわかったが、具体的に人間はどのように物事を概念化するかを「スキーマ」という概念を導入し説明する。

スキーマ・・・日常の心的経験が繰り返された結果生まれる普遍性の高い知識の抽象的な型(吉村, 2003)

人間は生きていく中で個々の事例を経験する。それを一つ一つ個別に捉えるのではなく、個々の事例を集合させ共通点を見つけてまとめ、個々の微妙な差を捨て去って一種の「型」を作る。つまり、個々の事例を集めて、帰納的に一般化する。その一般化された結果生まれた抽象的な型をスキーマと呼ぶ(吉村, 2003)。

(4) レストランでの行動のスキーマ
店のドアを開ける→席につく→メニューを選ぶ→店の人を呼ぶ→メニューを注文する→料理が来る→食べる・・・

レストランを例にすると、スキーマとは上記のような行動パターンである。レストランでやることを何度も経験し、その経験を元に一連の行動をパターン化し、行動の「型」を作る。レストランとはこういうことをする場所という型を作るにより、行ったことのないレストランに行ったとしても、またレストラン以外の食事をするための場所でも、迷うことなく何をすべきかわかるわけである。人間が経験していないものに対して対応できるのは、このようにスキーマを経験から作り、事物をそれに当てはめて行動しているからである

言葉についても同じ考え方が適応できる。前置詞のoverを例に挙げてみると・・・。

(5) overのスキーマ (Tyler and Evans, 2003)

a. 例1 b. 例2 …etc

↓スキーマ化↓

c. overのスキーマ

overは二つの事物の位置関係の概念を表す語であるが、それを具体物で図示すると(5a)や(5b)のようになる。上の絵のような位置関係にあるものを多数集めていき、個々の具体物の細かい特徴を切り捨て、より普遍的な型を作る。(スキーマ化)そうすると、(5c)のような型が完成する。これをスキーマと呼ぶ。(5c)のような位置関係になっている具体物に対して、overという形式を使用して描写しているわけである。

このように、我々は経験を積み重ねることで様々な事物に対してスキーマを作り、そのスキーマを対象物に投影し事例化する。このようにして我々は、スキーマを使い世界に意味を与えて分節化(segment)しているのである(吉村, 2003)。
posted by ブラック・マジシャン at 21:41| 兵庫 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 勉強・学問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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