2010年03月24日

「おられる」は間違った尊敬語の形式か?2

2. 「おられる」の使用の実際
以上が、授業内でなされた解説であったが、この解説に一石を投じるためにここからは具体的な発話例および書き言葉の例を見てみよう。実際の事例を見ていくと、「おられる」が書き言葉や公的な文脈で地域や年齢に関係なく使われていることがわかる。

2.1 実際の発話の例
私のよく使うバスの中で、このような録音のアナウンスが流れる。

(12) 次は西宮名塩です。この駅は、降車専用の駅となっております。お降りになるお客様がおられない場合、通過させていただきますのでご注意ください。

自分と同年代の若者が、「いる」の尊敬語として「おられる」を使っていれば、若者にありがちな、いわゆる「日本語の乱れ」としてしか捉えかねられない。しかし、これは録音で放送されているバスの定型アナウンスである。上の理論に従うと、これではバス会社をあげて尊敬語の使い方を間違えていると考えざるを得なくなってしまう。

ただし、関西圏に住んでいる私の使うバスは当然「いる」を「おる」と捉える地域を走っているので地域性の観点から見ればこの使用は間違いではない。

2.2 書き言葉における例
私の若者以外の敬語で聞いた発話の例は上の1つだけであるが、新書や公文書などの書き言葉の世界の中では「おられる」の使用が見られた。いくつか例を挙げよう。

(13) (夜回り先生が実践していることについて)このことが圧倒的にすごい。つい、氏への言説も控えがちになる。水谷氏のやっておられる行為のモデルを求めるとすれば、キリスト教の歴史における聖人しか見当たらない。(諏訪哲二著 『学校のモンスター』 p.205より)

この『学校のモンスター』を著した諏訪哲二氏の出身地は関東の千葉県生まれで、埼玉県を中心にして教職活動に従事なさっていた方である。しかも、彼は1941年生まれでとても「若者」といえる年齢ではない。つまり、「いる」を「おる」として使う関西圏に住んでいるわけではなく、かつ年齢が高いにもかかわらず、この「おられる」を平然と本の中で使用している。

これだけにとどまらず、宮内庁 (2005)の『皇后陛下お誕生日に際し(平成17年) 宮内記者会の質問に対する文書ご回答』においても「おられる」が使用されている。

(14) 戦没者の両親の世代の方が皆年をとられ,今年8月15日の終戦記念日の式典は,この世代の出席のない初めての式典になったと聞きました。靖国神社や千鳥ヶ淵に詣でる遺族も,一年一年年を加え,兄弟姉妹の世代ですら,もうかなりの高齢に達しておられるのではないでしょうか。
(15) ご一家のご様子についてとともに,皇后さまは皇室の現状とその将来についてどう感じ,どう願っておられるかをお聞かせください。

(14)は、記者の質問に対しての皇后陛下からのやんごとなきご回答で、(15)は記者の質問である。これらは東京に本拠を置く宮内庁の公式サイトからの引用である。当然、やんごとなき方々のお書きになった「公文書」であり、記者側も日本を象徴する一人である皇后陛下に「おられる」を使っているのである。

これら2つの例を取り上げると、「おられる」は関西独自の尊敬語ではなく実は広く使われているのではないかと考えられる。となると、「『いらっしゃる』のみが『いる』の尊敬語である」という論の旗色が悪くなってくる。

2.3 「おられる」を擁護する立場
実際の事例を見ると、「おられる」が案外地域や文脈に関わらず受け入れられているが、「おられる」を全面的に認めている学者がいる。萩野(2005)は規範文法の立場に基づき「おられる」は何の問題もない尊敬語であると指摘している。

まず、「おる」は「謙譲語的に使われる場合のある語」に過ぎないと指摘している(萩野, 2005)。そもそも、「おる」が謙譲語A扱いになったのは『岩波古語辞典』が「おる」は自分の動作に使えば卑下、他人の動作に対し使えば蔑視の意味となると主張して以来だとし、それ以後「おる」を謙譲語として使う辞書や書類が増えたと主張している。しかし、これは単なる「拡大解釈」が広まった結果であり、あくまでも「おる」は「いる」のバリエーションに過ぎないと指摘している(萩野, 2005)。

それを証拠付けるかのように、萩野(2005)は昔ながらの書籍から「おられる」が使用されていることを指摘している。

(16) 先生は昔し、烏を飼つて居(を)られた。(夏目漱石著 『ケーベル先生』より)
(17) あなたの覚えてをられるのはどういふのが一等優れて・・・(折口信夫著 『難波の春』より)
(18) 涙ぐんでをられたこともありましたが(谷崎潤一郎著 『少将滋幹の母』より)
(萩野, 2005)


この観点から見ると、「おる」は地域に関係なくあくまでも「いる」の一つのバリエーションに過ぎず、いつも謙譲語として扱われるわけではないことがわかる。よって、宮内庁の公文書でおられるが使用されていたり、関東出身で年配の諏訪哲二氏が「おられる」を使っていたりしたことにも合点が行く。

このようにして萩野(2005)は、認知言語学を支持する学者達の敬語理論や他の理論を、「言葉の乱れ」を「言葉の変化」と主張して正当化する「ゴキブリ理論」と痛烈に批判し、なおかつ敬語の理論をややこしいものにした元凶であると徹底的に批判し、「おられる」は正しい敬語であると主張している。
posted by ブラック・マジシャン at 03:07| 兵庫 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 勉強・学問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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