2006年04月19日

日本の遊戯王の問題点

オーストラリア内で遊戯王のリサーチを行っていて日本のカード観に関して気づいた点があります。それはみんなが1枚1枚のカードやデッキを大事にしていないなということ。

カードがかなり高いうえに入手が難しいオーストラリアのプレイヤーにとってカード1枚1枚は大事なものです。限られたデッキ資産の中から、デッキを作るわけですからカード1枚1枚の重みは違うでしょう。中には、デッキを作れない人もいるかも知れません。
私も中学校時代はこんな感じでぜんぜん勝てなかった記憶があるんですが、その中で苦労して手に入れて「ブラック・マジシャン」であるとかが、自分の相棒に見えて仕方がなかったんです。ちょうど、原作の「カードの心」というやつがよくわかった気がします。
それと同じで、ここの子供たちはカードが貴重なわけですから頭をひねってデッキを作るわけです。トーナメントプレイヤーの目からするととっても雑魚なデッキかも知れませんが、彼らにしてみたら自分の魂そのものでしょう。その中から、カードに対するこだわりだとか情熱だとかが生まれるんだと思います。

日本の今の現状を見ると、お金を出せば大体のカードが手に入るし、ネットの普及でどんなデッキ・カードが強いのかが簡単にわかります。それは歓迎されることなんですが、反面勝てるデッキを求めてカードを買ってデッキを作って、そして「いらないカードはいらない。勝てないデッキは要らない」になってしまっているような気がします。つまり、自分のカードやデッキへの愛着がなかなか定着しにくい状況にあるということ。よく、「先進国の人間はものがあふれすぎて、心を見失っている」といわれていますが、それと同じことが遊戯王業界でもいえているんじゃないのかなあと思います。だから、お互いを雑魚雑魚言い合うわけですね。そんな人間に、デュエリストとしての誇りなんかあるでしょうか?

原作で「デュエリストの誇り」「カードの心」とキャラクターが叫んでいましたが、日本人はそんな感じのものをを見失っているんじゃないかなと思います。漫画の見すぎと馬鹿にする人もいるでしょうけど、あながち間違いではないのではないかと私は思います。別にカードでなくたって、勉強や仕事をする上で、自分のやっていることに対して誇りや情熱がないと続けるのはなかなか難しいでしょう。それと同じで、「自分はカードゲームをやっている、それを誇りに感じてるんだ」という気持ちがあればがんばれるんじゃないかなと思います。こういう熱意を仕事や勉強にも発揮できる人になれれば、すばらしいじゃないですか。

昔と比べると競技性が増してきてきているのは歓迎です。だからこそ、「心」を一人ひとりが見失わないようにしていけば、このゲームは息の長い人気を誇るんじゃないでしょうか。

日本から離れてみて、カードが入手困難な状況に直面して気づいたことでした。
posted by ブラック・マジシャン at 12:00| シドニー | Comment(0) | TrackBack(0) | カードゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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