対戦相手を探していてわかったことは、当たり前の話ですがカードやデッキがいくらあっても人間がいないと意味をなさないということです。いかに強いカードやデッキを持っていても、対戦相手がいなければ、それらを使用することすらできません。それに人がいなければ、トレードもできないのでカードが集まりません。それだけ「人間」は重要でかつ大事にされてしかるべきなんです。
しかしながら、ネットや現実のデュエルスペースの一角で、私が見てきたのはどうもみんな人間を大事にしていない、そればかりか、目先の勝ち負けばっかりを追い求めて、勝てば官軍、負けた相手は侮蔑の対象になっているような気がします。相手を軽蔑するような人では、いくらデッキが強くてもプレイングが上手でも誰も尊敬はしやしないし、人は寄り付きません。
カードゲームは人と人とのふれあい、つまりコミュニケーションです。よくアニメで十代が「勝っても負けても楽しいのがデュエル」というせりふを言っていますが、今ならはっきりそれに同意できます。確かに勝ったほうがうれしいし、負けたときよりも喜びが大きいのは否定しません。しかし、なぜ負けても楽しいかというと、それはデュエルがコミュニケーションだからです。カードを通じていろんな人と触れ合える。自分の力を全部出し切ってお互いと向き合える。そして、その結果「赤の他人」だった人間が「よき友」になる。その関係をカードで維持できるし、いろんなことを話しているうちに、いつしかカードなしでも維持できるようになる。そんな「よき友」がたくさん作れる。それは、1回の勝負に勝った負けたという結果以上に重要なことだと思います。
それに、勝ったとしても自分の自己満足は満たせるかもしれませんが、そのうちそれを賞賛してくれる人がいないとだめになります。人間は人から賞賛を受けたいという社会的欲求を求めるようになりますから。勝負に勝って相手を軽蔑しているようだと、人望がなくなって誰も勝利を賞賛してくれません。結果、勝ってもつまらない状態になります。
オーストラリア代表の人に、日本の悪い現状を少しばかり話しました。そうすると「確かに日本人はみんなが強いデッキを持っている。だから、デッキが弱かったり負けたりすると、馬鹿にされるのも無理のないことなのかもしれないけど、ゲームを楽しんではいないね」といわれました。
私が、「遊戯王の面白いところっていろんな人と交流を持てることだね」と英語で話したら、快く同意してくれました。彼は、国外の選手権に出ていろいろな国に行っていろんな人に会って、それを実感しているそうです。
日本の遊戯王プレイヤーの人には、目先の勝ち負けばっかりではなく、もっと人間を見てほしいです。デッキが弱いからといって、その人やそのデッキはだめなんですか?デュエルに負けたからといって、その人の人間性を否定できますか?できないはずです。
そして、カードを通じてコミュニカティブになってください。カードを通じて、ゲームを楽しんでいろいろな人と交流を持ちましょう。その交流を持った人々は素敵な仲間になって、楽しいときを分かち合えると思います。このゲームにはその力が大いにあると思います。
とにかく、今までうっすら感じていたことが、国外に出ていろいろ調査を行って実際に外国人デュエリストとデュエルして確信に変わったことでした。せっかく、インターナショナルなカードゲームなんですからもっと他人にオープンにそして、ゲームを楽しんでほしいと思います。
確かに、相手がいないとカードゲームは成立せんよ。ガンダ○ウォーも近所に相手がいないから長続きしなかったしな。
もしかすると、遊戯王GXの「勝っても負けても〜」の台詞は、日本のプレイヤーのマナーが悪いことに対する警鐘なのかもしれないね。
これは、遊戯王だけの問題じゃないと思いますよ。
今の日本もこういう感じです。
コミュニケーションを取ることが下手なんですよ、日本人って。
昔は、近所の人との交流があったり、叱れる先生や先輩がいたけど、今はそういうことがめっきりなくなって。
海外で生活されているから分かることだと思います。もっとこういうことについて声を大にしていいですよ。
ブラック・マジシャンさんのような人がもっと増えてくれれば、もっと日本が活躍できると思いますね。
記事、楽しみにしていますので。