遊戯王ZEXAL11話〜12話の主題は「競争で一番になるということは、実は辛いこと。なぜなら、一番は人を孤独にするから」ということに尽きると思います。
カードゲームで常勝不敗の選手がいるとします。一人が勝ちすぎると周りの人間は負け続けます。そうすると、周囲の子はその子に勝てないわけだから、必然的にその子と周囲に上下関係ができ、常勝側が上、負け続けている周囲の子どもが下という人間関係の上下関係ができます。
じゃあ、勝てるように努力すればとなるが、努力してもなかなか勝てない子もいるし、楽して何とかしようとかいう人間もいると思います。それでも、どうしてもメンツを保ちたい負け組の子どもたち側は、その子への陰湿な攻撃を始めます。」そうすると、ゲーム以外の手段で攻撃を始める。その正体が「いじめ」なのです。
今回の話では、優勝候補のシャークがイカサマをしたという記事が出ていましたが、何のことはない。他の勝てそうにないと思った選手たちが、強そうなシャークを何とか排除しようしただけなんですね。
しかも、シャークにも敗北への恐れがありましたから、ついつい相手のデッキをてしまった。見たことには変わりはないのですから、いかさまはいかさま。反則負けは妥当です。こういう一連の流れから、ショックを受けたシャークは不良となってしまいました。
そしてシャークが前回打ち負かした遊馬とタッグをくんだのは、遊馬が自分のことを「ともだち」と言ってくれたからだと思います。だから、「皇の鍵」を手にしても壊さずに遊馬に返しました。また、タッグを組んだ最中でも遊馬は勝負への恐れを吐露しました。そこにシャークは彼に共感を覚えたのでしょう。
今回の話から、強者は弱者の気持ちを考えてあげる必要があるというメッセージが読み取れます。トーナメントの時などは別として普通に友だち同士でカードするとき時は、たまにわざと負けて相手のプライドを保ってあげる。そうすると、ゲームをしている子ども同士の友達関係も必然的に良くなると思います。
逆にトーナメント優勝などの公の競技でない限り、「たまには負けてあげる」というくらいの器量がなければ強者とは言えないのではないか。カードゲームなら、戦争のように生き死にがかかわっているわけじゃないのだから常勝不敗でいなくたって良い。負けても何も失うものはないはず。
競争は必然的に勝ち負けすなわち、上下を生み出します。そして上下は上の物が下の物を見下すという偏見を生みだす温床となるのです。その偏見を下にいる人は恐れる。だから人間は、自分は上側にいようとするのです。下側にいると偏見から自分がバカにされるなど、いじめの対象になるのだから。
しかし、あんまりぬきんでた上の人間も総すかんを食らう可能性があります。下側にいる人間たちからねたみを買って集団で総攻撃を食らってしまいかねません。カードゲームなら、その強い人の相手をしない・いかさま呼ばわりしてゲーム界から抹殺するなどでしょうか。(劇中のシャークはこの類ですね)
別にこれがカードゲームでなくたっていいんです。たとえば、「勉強」だとか「容姿」だとか何でもよい。とりあえず、ぬきんでている奴もしくは弱者を容赦なくいろいろな手段で追い込んでいく。これも「いじめ」なんです。
だから、今の子どもたちは空気を読む世代になってしまいました。ぬきんでた実力をなまじ持ってしまうと、たたかれる。そしてあまりに下の位置にいすぎて孤立していても、さびしいし強者から攻撃される危険性があるので、適当に友だちと群れたがり空気を読みあい本音の言えない「友だち地獄」が完成します。
「孤独」に耐えられるほどの精神的な強さがあればいいですが、今の世の中大人でもそんな強さは持ち合わせていません。いわんや子どもをや。子どもは素直に思ったことを実行しますから、大人が思っているような「純粋」な存在ではありません。
そこであえて「かっとビング」と称して「チャレンジすることの大切さ」「勝っても負けてもゲームって楽しいじゃない」「負けたってなにも失うことはないんだよ」「弱い人たちの気持ちも考えないとだめなんだよ」というメッセージをZEXALは発しようとしているのだと思います。
今の時代にこのメッセージを伝えようとしている遊戯王ZEXALはすごすぎます。さすが、10年以上アニメが続いているシリーズだと思います。私はこのシリーズが好きになりました。