2007年07月03日

教員合宿で学んだこと

前回の自分の欠点の反省の続きみたいになりますが、今回の合宿で得たことを書きます。

教員の仕事は99の苦しみと1の喜びで成り立っている
教育というものの難しいところで、それを施せばすぐに効果が現れるとは限らないということがあります。つまり、現状の生徒は自分を嫌い、苦労がたくさんあるかもしれないということ。自分が一生懸命やってるのに、成果が目に見えて現れないというのはザラです。だから、教師には忍耐力と胆力がいるのです。

英語の記事にも書きましたが、今現状で嫌っている生徒が自分のいっていたことをわかってくれて、数年後成長して帰ってきてお礼を言ってくれるというのが教師の喜びなのです。それがあるからこそ、教師の仕事は面白いんだということ。

絶対値的な計算的には割が合わないかもしれませんが、「感性」という相対的な要素が入ることで大きなものになるということです。

「今は、」出来ないだけ
上記のことを踏まえて、どういう発想であるべきかというと「今は出来ないけどこれからできるようになる。(する)」この発想を持つことです。そして、この発想の下に、努力を続ける必要があるということ。

つまり、長期的スパンにたったものの見方が出来なければならないということ。「長い目で見る」ということが重要であるということです。

これは自己成長も一緒。記事で私の欠点で「(無理なのに)全能かつ最強であろうとする」という項目を挙げました。しかし、「無理なのに」の部分を()でくくっているのは、それを実際にやっている人を私は知っているからです。必ずしもそうでないということで、括弧でくくったのです。

ということで、この欠点ですが少し書き方に御幣が合ったようです。私の行動ルーチンは、行き当たりばったりに目的を設定し、最速・最短で目的を達成しようとします。しかも、その「最短」、「最速」の時間とスピード設定も行き当たりばったり。だから、身の丈の何十倍のことを一気にやろうとして破綻する。

ということで、私の取るべき行動は以下のとおりではないかと考えています。

「そうなるための目的と動機をはっきりさせる」

「身の丈を知る」

「足りない部分を一つずつ克服する」

こうやって一つずつプロセスを踏んでいくしかないのではないかと、考えています。

もちろん、マルチに克服できるにこしたことはありません。しかし、個人の資質によって、できることが大きく左右されるから、全員が全員同じプロセスをたどれるわけがないのです。目的達成する時間が最短である必要はない。目的達成に要する時間は人それぞれでよいということ。もしかしたら、死ぬまで達成できないなんてこともあるかもしれませんが、それはそれで仕方ないこと。それが、生きることの理不尽さなのかもしれません。

結局は、最後の最後に結果が出ればいいのですから、時間をかけたって良いですよね・・・ということ。一方で、現実は悠長に出来ない事実もあるということです。

教員は多角的に物を見る必要がある
これは、教職の先生がいつもおっしゃいっていることですが、同じものでも見方によって物の見方は違います。

たとえば、私は生きることを「戦い」と表現しました。それと同時に、生きることを「商売」とも表現しました。また、俗には生きることは「旅」とも表現されています。

これからわかることは、同じことでも物の見方によって捕らえ方はさまざまなのだということです。同じことを色々な捕らえ方で捕らえるから、メタファーもさまざま出てくる。

そして、それらのメタファーは、一つの観点では的を得ているが他の部分では得ていない。だから、世の中は複雑だし偏ったものの見方をするのは危険ということです。

これを教師がやると、生徒が偏ったものの見方しか出来なくなり、いわゆる問題行動やいじめといった悲惨な結果が待ち受けているということですね。

教師に必要なのはバランス感覚
ということで、多角的に物を見るために必要なことで挙げられるのがバランス感覚です。

さっき、「長い目で物を見る必要がある。」、「行き当たりばったりに目的を設定」といいました。相反する要素ですが、実はこれらは両方必要なことなのです。

ずっと長い目で物を見ていると、今まさにここで起きている状況に対処するのに時間がかかり、結局チャンスを逃してしまいます。また、絶対的な経験値不足に頭を悩ませます。一方で、行き当たりばったりに行動してばかりでも、準備不足からこれから先のことに上手く対処できません。

つまり、どちらかに偏ってしまうといけないということです。平凡な視野と秀才的な視野を両方備えて、適切な状況で適切にそれらが使えればよい。これらはどちらが正解というわけではなく、少なくても偏ってしまうのはアウトということです。

だから、教職の先生はある生徒がAといったら、Bと言っているのです。つまり、Aということに全面的に賛成してしまうと、生徒はAとしか言わなくなり、偏る。だから、反対のBを提示し、バランスよく調整しているということです。

これは、ソクラテスの対話のやり方、「反証法」と同じですね。偉大な哲学者の彼の場合も、反対のことを常に言ったがために、だんだんと周りに理解されなくなっていき、最後に死刑になったという事実があります。

やっぱりバランスというのは大事なのですね。しかし、このバランス感覚というのは難しいですね。これは経験によって調整していくしかなさそうです。

教員は全力の8割を常に出し続ける必要がある
これも、合宿で教職の先生がおっしゃっていたことです。いつも全力を出すということは非常に難しいです。そうやろうとすると、必ずムラが出来てしまう。だから、安定して80%の実力を常に出すように言われました。
常に全力の8割の実力を維持することで、精神的な余裕が生まれて、胆力も出るし、少々変なことをされても、冷静でいられるというわけです。

ちなみに、私の場合は自分の実力を10とするとき、+2を見ています。つまり12ですね。自分より、上の連中がいるのは当然だから、全力を挙げるのは当然のこととして、いざとなったらリミッターをはずして12くらいの力は出せるように努力する。つまりは、危機管理のためです。この理念で行動しているつもりですが、そのくせサボってしまうこともあるんで困るのですが。

同じ教員採用試験を受ける友達にこのことを話すと、「危機管理が出来ているいい証拠だけど、なかなか人間上手く動けないよね。どうしてもサボっちゃうのが人間なのとちゃうの?」とか言われました。

だから、余力があって冷静でいられるのは、実力の8割だと先生は長い経験からおっしゃっているのではないかと思います。

当然全体のスペックを上げる事にもいそしみ、相対値である8割を高め続ける。そして、常に冷静でいて、必要だと判断した時に、全力を出せるようにしておく。こうすれば、応用も利くし疲れない。これが、余裕を持たせた力の使い方と言うわけです。

教師に必要なのはリズム感覚
これは授業でもそうなのですが、教員は軽重を考える必要があります。つまり、全部の物事を全部重く扱っても駄目だし、軽く流しても駄目ということ。

たとえば、イソップ物語のウサギと亀の話がありますね。ウサギは走ることをやめてしまって、歩き続けた亀に追い抜かれたというあれです。

もし、「亀が歩み続けているのに、走るのをやめたウサギはどうなるのか?」という問いに対する答えを出すならば、まさにそれ。ウサギは、追い抜かれます。致命的に距離が離されていれば、敗北します。

しかしながら、勝負が長引けばお互い疲弊するのは当然です。亀だって、歩みを止めるでしょうし、ウサギだって走るのをやめます。

問題なのは、常に同じ行動を取り続けることです。常にウサギが走り続ければ、そのうち体に負担がかかって死んでしまいます。血を吐き続けるマラソンを続ければ、いずれ体の限界値を超えてしまい、ろくな結果になりません。これは亀も同じです。いずれ、時間に差があるとはいえ、限界は来てしまいます。

かといって、ある行動を完全否定してやめてしまうのも問題です。「走らないウサギはもはやウサギですらないんじゃないのか?」という問いがあるとして、それに対する答えは、「完全に」走らなくなったウサギはウサギですらない。これは正解です。ウサギのアイデンティティを自ら放棄しているのですから、ウサギという「実存」は残っても、それは中身の無い空虚な物。これでは、ウサギがウサギであるとは言えません。実存と中身が揃って初めてウサギになるのです。

だけども、ウサギだって走らない時もある。ウサギはいつでも走っているかというとそうじゃない。物を食べないと、餓死するし、睡眠不足だと疲労で倒れます。走り続けたウサギに待っているのは確実な「死」。これもウサギにとっては不利益なこと。
亀だって、歩き続けても限界は来るし、完全に歩みを止めても、ウサギには永遠に勝てない。

だからこそ、やるときはやる、やらないときはやらないという、、すなわちリズムが重要なのだということです。力の加減を常に最高にしていても駄目だし、最弱にして何もしないのもダメ。自分は今どうあるべきか、どのくらいの力を出すべきか、よく考えて行動しようと言う事。

このリズムが狂ってしまうと、気持ちが追いつかなくなるし、体も追いつかなくなる。ただ、適切なリズムをつかめるようになるには、やっぱり実践に基づいた経験がある程度必要でしょう。さらに、個人によってそのリズムはさまざま。ある程度の共通項はあるかもしれませんが、どこかで違いは必ずある。だからこそ、難しさがあるのではないかと考えています。

なお、過剰な目的志向は、目的と「気持ち」を分裂させます。目的を達成させるためには、気持ちは一切入る余地はありません。しかし、気持ちが目的達成のための重圧に耐え切れなくなると、今度は目的を完全に投げてしまって、全てに対して投げやりになります。これがいわゆる「鬱」と言うやつですね。ほどほどが一番。

自己実現とは?人生とは?
もし、人生をマラソンにたとえるならば、ゴール到達(目的達成)のためにかかる時間は人によってさまざま。与えられている距離も42.195キロと固定ではなくて、やっぱりさまざま。さらに道のりや手段もさまざま。さらに、感性という最高に相対的なものが入ってしまうと訳がわからなくなる。

しかし、どういうプロセスであれ、時間であれ、自分がその結果に満足すればいい。

「速くゴールしたいと望んだ結果」がそれで、自分がそれでよいならば他者は関係ない。誰かとの競争に負けてても、他者に何と言われようとも、それは自分にとって勝ったことになる。つまり、「負けて勝つ」とはそういうこと。そして、「自己実現」とはそういうこと最後の最後の味方は自分だけと言う事。

「一生分の喜びを得たいのならば、生きる意義を見つけよ」とはそういうこと。

意義と目的は生を強くすると言う事!

総括
以上が、今まで自分が教職を受け続け、学問にいそしんだ結果のいくつかです。この理念を持って、今度は実践することが出来ればよい教師になれるのではないかと考えています。相反する要素が複雑に絡まっていて一見矛盾していますが、それらを一つ一つバランスよく適切に配置していく。これが重要ということですね。

経験不足で、地雷を踏みまくるでしょうが、大事なのは失敗から学ぶこと。骨折と同じで、折れた骨が修復されれば、その骨は以前よりも強くなる。それと同じで、折れた人間が立ち直ればその人間は以前よりも強くなっている。

逆に、挫折を知らなければその人間がいざ折れたときに、下手をすると修復不能となる。「挫折を知らない人間はもろく、そして悲しい」というのはそういうことです。

後、2週間で足りない部分を補い、自分のペースを守って一次面接を受けようと思います。
posted by ブラック・マジシャン at 02:03| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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