2008年01月24日

真に倒すべき敵

前々から、自分が虚栄心に縛られた嫌な人間にならないように気を付けていたつもりだったのですが、見事に虚栄心に縛られた自分がいたので自己反省がてら今回は虚栄心について記事を書こうと思います。

前から負けず嫌いな気があり、何でもかんでも完璧にこなそうと考えていましたが、最近になってそれは自分が虚栄心に縛られているからではないかと思うようになったのです。虚栄心というのは、簡単に言うと「自分がすごい存在でありたい、周囲にそう思われたい」と思う心の事です。

自分は名誉を重んじるタイプで、周囲から良い評価を受けた場合は必ず責任を果たそうと考えています。誇りに人よりこだわるのはそれで、誇り高い人間になろうとしていたわけです。つまり、名誉心を常に持った人間を目指していました。

しかし、三木清の『人生論ノート』を読むと、名誉心と虚栄心についてこのように言っています。以下その引用。

虚栄心というのは自分があるよりも以上のものであることを示そうとする人間的なパッションである。虚栄心はまず社会を対象としている。しかるに名誉心はまず自己を対象とする。虚栄心が対世間的であるのに反して、名誉心は自己の品位についての自覚である。

名誉心と虚栄心ほど混同されやすいものはない。しかも両者ほど区別の必要なものはない。この二つのものを区別することが、人生についての智慧の少なくとも半分であるとさえ言うことができるであろう。
名誉心が虚栄心と誤解されることは甚だ多い、しかしまた名誉心はきわめて容易に虚栄心に変ずるものである。個々の場合について両者を区別するには良い眼を持たねばならぬ


後半部を簡単に要約すると、名誉心は簡単に虚栄心になりやすく、そうならないようにするには相当の知恵と目が必要であると言うわけです。

これを最近読んで、また名誉心と虚栄心について深く考えるようになりました。いかにすれば虚栄心に誘惑されないで済むか、誘惑されやすいならば、もしかしたら名誉心というのも不必要な物じゃないのか。お風呂に入っている間に思索にふけっていました。

よくよく考えて、ここ1年の地雷の踏みようは、自らの虚栄心が招いたのではないかと結論が行くようになったのです。人より優れていたいと考えて努力するからずれたことしか出来ない。それで自分だけひどい目に遭うのならばまだしも、他の人に迷惑をかけているのではないかと恐ろしくなったのです。

そして、その本の中で気になったもう1つの箇所がこれです。

streber―――
このドイツ語でもっとも適切に表される種類の成功主義者こそ、俗物中の俗物である。
他の種類の俗物は時として気まぐれに俗物であることをやめる。
しかるにこの努力家型の成功主義者は、決して軌道を外すことがないゆえに、それだけ俗物として完全である。


streberという言葉の意味がわからなかったのでネットで調べて見たら、こちらのブログで意味が書いてありました。そのページから引用させていただくと、このようになります。

「努力家」で「勉強家」の意ですが単なる努力家ではなく、生徒なら「一級(クラス)の上位にいよう、試験に高点を貰おう、早く卒業しようと心掛ける、其心掛が主になることがある。そういう生徒は教師の心を射るようになる。教師に迎合するようになる。昇進をしたがる官吏も同じ事である。

つい数十分前にこの意味がわかったときに、愕然としました。まさに、今までの自分はstreberだったのです。西洋では、このstreberをいやしむ傾向にあるようなのですが、まさに卑しむべき人物に自分がなっていたのです。

今まで、自分はたいした事無い人間だと思うのならば、たいしたことあるように努力すれば良い。理想があるならば、それが実現するように努力すれば良い。ダメな自分がいるとわかっているのならば、努力して改善すれば良い。

人間性を鍛えるために、そのために勉強を一生懸命やるというのも意義と目的に含まれていました。自分の名誉を守るために努力もするし、それに見合った行動をする。これが自分の生き方と考えていました。

しかし、この考えで努力すること自体が間違っていたようです。いや、名誉を守ると言う事がいつの間にか自分の虚栄心に転じていたのではないか。その名誉心から転じた虚栄心が、自分を勝敗主義者にしていたし、無意識のうちに自分が優位であると思い込んで行動していたから、今の地雷を踏みまくっている自分がいる。

はっきり言って、虚栄心などというデメリットには価値はありません。虚栄心と言う自分のデメリットをどのように捨てるか、どのように虚栄心に打ち勝たねばならないか、考える必要が出てきたようです。

真に倒すべき敵は、入試でも他者でもない。自らに存在する虚栄心だったのです。この敵とどう戦わなければならないか、これが私の課題のようです。

参考文献
堀尾輝久(1989)『教育入門』 岩波新書

三木清(1942)『人生論ノート』 岩波新書

posted by ブラック・マジシャン at 23:59| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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