2007年07月11日

Thank you letter for my high school

I wrote a thank you letter for my high school today. Though I wanted to write it as soon as possible, I could not do so due to preparation for the examinations.

I think I wrote the letter with my best letters. But, I can not tell that they think so... I am afraid that my sincere gratitude touches my teachers.
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2007年07月10日

My tendency of listening to the music

Though i-pod has large capacity to contain music, I listen to few musics. I recently do not feel like listening to songs, and I just listen to back ground music from Eldran series. The following movie uses all the music I listen to.

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2007年07月09日

My friend has begun writing blog

HUYU, one of the writer of my clumn series, has begun writing blog. The name is "ヴァカ野郎の不満日記(ブログ版)". The title sounds very offensive, but he writes normal diary as well.

I put the link at the left of my blog.
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2007年07月03日

教員合宿で学んだこと

前回の自分の欠点の反省の続きみたいになりますが、今回の合宿で得たことを書きます。

教員の仕事は99の苦しみと1の喜びで成り立っている
教育というものの難しいところで、それを施せばすぐに効果が現れるとは限らないということがあります。つまり、現状の生徒は自分を嫌い、苦労がたくさんあるかもしれないということ。自分が一生懸命やってるのに、成果が目に見えて現れないというのはザラです。だから、教師には忍耐力と胆力がいるのです。

英語の記事にも書きましたが、今現状で嫌っている生徒が自分のいっていたことをわかってくれて、数年後成長して帰ってきてお礼を言ってくれるというのが教師の喜びなのです。それがあるからこそ、教師の仕事は面白いんだということ。

絶対値的な計算的には割が合わないかもしれませんが、「感性」という相対的な要素が入ることで大きなものになるということです。

「今は、」出来ないだけ
上記のことを踏まえて、どういう発想であるべきかというと「今は出来ないけどこれからできるようになる。(する)」この発想を持つことです。そして、この発想の下に、努力を続ける必要があるということ。

つまり、長期的スパンにたったものの見方が出来なければならないということ。「長い目で見る」ということが重要であるということです。

これは自己成長も一緒。記事で私の欠点で「(無理なのに)全能かつ最強であろうとする」という項目を挙げました。しかし、「無理なのに」の部分を()でくくっているのは、それを実際にやっている人を私は知っているからです。必ずしもそうでないということで、括弧でくくったのです。

ということで、この欠点ですが少し書き方に御幣が合ったようです。私の行動ルーチンは、行き当たりばったりに目的を設定し、最速・最短で目的を達成しようとします。しかも、その「最短」、「最速」の時間とスピード設定も行き当たりばったり。だから、身の丈の何十倍のことを一気にやろうとして破綻する。

ということで、私の取るべき行動は以下のとおりではないかと考えています。

「そうなるための目的と動機をはっきりさせる」

「身の丈を知る」

「足りない部分を一つずつ克服する」

こうやって一つずつプロセスを踏んでいくしかないのではないかと、考えています。

もちろん、マルチに克服できるにこしたことはありません。しかし、個人の資質によって、できることが大きく左右されるから、全員が全員同じプロセスをたどれるわけがないのです。目的達成する時間が最短である必要はない。目的達成に要する時間は人それぞれでよいということ。もしかしたら、死ぬまで達成できないなんてこともあるかもしれませんが、それはそれで仕方ないこと。それが、生きることの理不尽さなのかもしれません。

結局は、最後の最後に結果が出ればいいのですから、時間をかけたって良いですよね・・・ということ。一方で、現実は悠長に出来ない事実もあるということです。

教員は多角的に物を見る必要がある
これは、教職の先生がいつもおっしゃいっていることですが、同じものでも見方によって物の見方は違います。

たとえば、私は生きることを「戦い」と表現しました。それと同時に、生きることを「商売」とも表現しました。また、俗には生きることは「旅」とも表現されています。

これからわかることは、同じことでも物の見方によって捕らえ方はさまざまなのだということです。同じことを色々な捕らえ方で捕らえるから、メタファーもさまざま出てくる。

そして、それらのメタファーは、一つの観点では的を得ているが他の部分では得ていない。だから、世の中は複雑だし偏ったものの見方をするのは危険ということです。

これを教師がやると、生徒が偏ったものの見方しか出来なくなり、いわゆる問題行動やいじめといった悲惨な結果が待ち受けているということですね。

教師に必要なのはバランス感覚
ということで、多角的に物を見るために必要なことで挙げられるのがバランス感覚です。

さっき、「長い目で物を見る必要がある。」、「行き当たりばったりに目的を設定」といいました。相反する要素ですが、実はこれらは両方必要なことなのです。

ずっと長い目で物を見ていると、今まさにここで起きている状況に対処するのに時間がかかり、結局チャンスを逃してしまいます。また、絶対的な経験値不足に頭を悩ませます。一方で、行き当たりばったりに行動してばかりでも、準備不足からこれから先のことに上手く対処できません。

つまり、どちらかに偏ってしまうといけないということです。平凡な視野と秀才的な視野を両方備えて、適切な状況で適切にそれらが使えればよい。これらはどちらが正解というわけではなく、少なくても偏ってしまうのはアウトということです。

だから、教職の先生はある生徒がAといったら、Bと言っているのです。つまり、Aということに全面的に賛成してしまうと、生徒はAとしか言わなくなり、偏る。だから、反対のBを提示し、バランスよく調整しているということです。

これは、ソクラテスの対話のやり方、「反証法」と同じですね。偉大な哲学者の彼の場合も、反対のことを常に言ったがために、だんだんと周りに理解されなくなっていき、最後に死刑になったという事実があります。

やっぱりバランスというのは大事なのですね。しかし、このバランス感覚というのは難しいですね。これは経験によって調整していくしかなさそうです。

教員は全力の8割を常に出し続ける必要がある
これも、合宿で教職の先生がおっしゃっていたことです。いつも全力を出すということは非常に難しいです。そうやろうとすると、必ずムラが出来てしまう。だから、安定して80%の実力を常に出すように言われました。
常に全力の8割の実力を維持することで、精神的な余裕が生まれて、胆力も出るし、少々変なことをされても、冷静でいられるというわけです。

ちなみに、私の場合は自分の実力を10とするとき、+2を見ています。つまり12ですね。自分より、上の連中がいるのは当然だから、全力を挙げるのは当然のこととして、いざとなったらリミッターをはずして12くらいの力は出せるように努力する。つまりは、危機管理のためです。この理念で行動しているつもりですが、そのくせサボってしまうこともあるんで困るのですが。

同じ教員採用試験を受ける友達にこのことを話すと、「危機管理が出来ているいい証拠だけど、なかなか人間上手く動けないよね。どうしてもサボっちゃうのが人間なのとちゃうの?」とか言われました。

だから、余力があって冷静でいられるのは、実力の8割だと先生は長い経験からおっしゃっているのではないかと思います。

当然全体のスペックを上げる事にもいそしみ、相対値である8割を高め続ける。そして、常に冷静でいて、必要だと判断した時に、全力を出せるようにしておく。こうすれば、応用も利くし疲れない。これが、余裕を持たせた力の使い方と言うわけです。

教師に必要なのはリズム感覚
これは授業でもそうなのですが、教員は軽重を考える必要があります。つまり、全部の物事を全部重く扱っても駄目だし、軽く流しても駄目ということ。

たとえば、イソップ物語のウサギと亀の話がありますね。ウサギは走ることをやめてしまって、歩き続けた亀に追い抜かれたというあれです。

もし、「亀が歩み続けているのに、走るのをやめたウサギはどうなるのか?」という問いに対する答えを出すならば、まさにそれ。ウサギは、追い抜かれます。致命的に距離が離されていれば、敗北します。

しかしながら、勝負が長引けばお互い疲弊するのは当然です。亀だって、歩みを止めるでしょうし、ウサギだって走るのをやめます。

問題なのは、常に同じ行動を取り続けることです。常にウサギが走り続ければ、そのうち体に負担がかかって死んでしまいます。血を吐き続けるマラソンを続ければ、いずれ体の限界値を超えてしまい、ろくな結果になりません。これは亀も同じです。いずれ、時間に差があるとはいえ、限界は来てしまいます。

かといって、ある行動を完全否定してやめてしまうのも問題です。「走らないウサギはもはやウサギですらないんじゃないのか?」という問いがあるとして、それに対する答えは、「完全に」走らなくなったウサギはウサギですらない。これは正解です。ウサギのアイデンティティを自ら放棄しているのですから、ウサギという「実存」は残っても、それは中身の無い空虚な物。これでは、ウサギがウサギであるとは言えません。実存と中身が揃って初めてウサギになるのです。

だけども、ウサギだって走らない時もある。ウサギはいつでも走っているかというとそうじゃない。物を食べないと、餓死するし、睡眠不足だと疲労で倒れます。走り続けたウサギに待っているのは確実な「死」。これもウサギにとっては不利益なこと。
亀だって、歩き続けても限界は来るし、完全に歩みを止めても、ウサギには永遠に勝てない。

だからこそ、やるときはやる、やらないときはやらないという、、すなわちリズムが重要なのだということです。力の加減を常に最高にしていても駄目だし、最弱にして何もしないのもダメ。自分は今どうあるべきか、どのくらいの力を出すべきか、よく考えて行動しようと言う事。

このリズムが狂ってしまうと、気持ちが追いつかなくなるし、体も追いつかなくなる。ただ、適切なリズムをつかめるようになるには、やっぱり実践に基づいた経験がある程度必要でしょう。さらに、個人によってそのリズムはさまざま。ある程度の共通項はあるかもしれませんが、どこかで違いは必ずある。だからこそ、難しさがあるのではないかと考えています。

なお、過剰な目的志向は、目的と「気持ち」を分裂させます。目的を達成させるためには、気持ちは一切入る余地はありません。しかし、気持ちが目的達成のための重圧に耐え切れなくなると、今度は目的を完全に投げてしまって、全てに対して投げやりになります。これがいわゆる「鬱」と言うやつですね。ほどほどが一番。

自己実現とは?人生とは?
もし、人生をマラソンにたとえるならば、ゴール到達(目的達成)のためにかかる時間は人によってさまざま。与えられている距離も42.195キロと固定ではなくて、やっぱりさまざま。さらに道のりや手段もさまざま。さらに、感性という最高に相対的なものが入ってしまうと訳がわからなくなる。

しかし、どういうプロセスであれ、時間であれ、自分がその結果に満足すればいい。

「速くゴールしたいと望んだ結果」がそれで、自分がそれでよいならば他者は関係ない。誰かとの競争に負けてても、他者に何と言われようとも、それは自分にとって勝ったことになる。つまり、「負けて勝つ」とはそういうこと。そして、「自己実現」とはそういうこと最後の最後の味方は自分だけと言う事。

「一生分の喜びを得たいのならば、生きる意義を見つけよ」とはそういうこと。

意義と目的は生を強くすると言う事!

総括
以上が、今まで自分が教職を受け続け、学問にいそしんだ結果のいくつかです。この理念を持って、今度は実践することが出来ればよい教師になれるのではないかと考えています。相反する要素が複雑に絡まっていて一見矛盾していますが、それらを一つ一つバランスよく適切に配置していく。これが重要ということですね。

経験不足で、地雷を踏みまくるでしょうが、大事なのは失敗から学ぶこと。骨折と同じで、折れた骨が修復されれば、その骨は以前よりも強くなる。それと同じで、折れた人間が立ち直ればその人間は以前よりも強くなっている。

逆に、挫折を知らなければその人間がいざ折れたときに、下手をすると修復不能となる。「挫折を知らない人間はもろく、そして悲しい」というのはそういうことです。

後、2週間で足りない部分を補い、自分のペースを守って一次面接を受けようと思います。
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2007年07月02日

Training Camp is Over

The one-night camp of teaching examination has finished. We prepared for the test getting closer and make opportunity to keep studying. This camp showed the deficit to me.

First of all, the score of general education was fairly low. I found that I am lack in using the knowledge of society. For, I know the system, but I can not connect my knowledge with the questions.

In terms of educational knowledge, I am lack in the knowledge of education principals. I know some significant , but I did not know their phrase.

The interview test was rather good for me. The interviewer did not point out my deficit of the interview and he said "That is enough". I, however, think I have some deficit. So, I will prepare for it.

What I learned from this camp is that the effect does not always appear immediately. So, the joy of teacher is when his or her students visit them after some years, and show their appreciation. Even though they hate the student under the present situation, it is a big success for teachers.

The task of teachers contains 99 burdens and one joy. They look forward to the enjoyment, and they can endure the difficulty which the task has.

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2007年06月29日

自己反省

教員採用試験に向けて、自分がどういう人間か、突き詰めて考えようと思います。今回は、主に自分の欠点について考えようと思います。

自分を押し売りしようとするところ
最近、哲学の授業で「生の消費化」という話を聞きました。大量生産、大量消費が当然となった現代社会に住むわれわれは、物を「消費」することにのろわれているという話です。

そして、我々は、「他人に自分を消費してもらうことで生きている」ということ。会社がその典型例です。「自分はこれこれ、こういうことが出来る」ということを、会社にアピールし、会社に雇ってもらってお給料をもらって生計を立てています。つまり、「自分を売っている、商品にしている」というわけです。そして、その商品である我々は少しでもお客様(他人や会社)の機嫌を損ねて捨てられると、生きていけない。だから、いろいろなものを着飾って、「よいもの」に見られようとするわけです。

結局のところ、「見栄」の正体はこれなんです。商売というメタファーを使うと、見栄を張ることは、自分を「宣伝」すること。「他者より優れているから、俺は偉い。」、「高値で取引されているから価値がある」「だから俺を買ってくれ。」こういうスキームなわけですね。

よく考えると、私は自分より少しでも強そうだ、もしくは強くなりそうだという人とよく張り合います。特に身近にいる年齢が近い人に対しては、競争意識が倍増。さらに、年下で自分より有能というのは許せません。はっきり、本心を打ち明けると、敵です。叩き潰す対象です。

自分でも何故そんな考えになってしまうのかが、わかりませんでした。でもそれは、自分を多くの人に消費してほしい。だから、自分より強い人を打ち負かして価値を証明しようとしているわけです。(自己成長のためというのもあり)

そして私の場合は、それをやりすぎる。少しでも他者より良い点を作り出そうと、自分が受けている授業では優を取り続け、そのために授業内容を深く理解し、かつ一撃必殺で覚え、さらにさらにTOEICで良い点を取るんだという発想になります。

さらに、採用する都道府県が人間性を重んじるといわれれば、求められる人間性に自分を仕立て上げる。これで、自分は立派な教師ですよということを宣伝しなければならなくなり、かつそうあり続けないといけないわけですね。

これを日常でも出してしまうから、敬遠されてしまう。確かに、自分を宣伝することは、大事なこと。しかしながら、やりすぎは「押し売り」になってしまって、逆に客足を遠のけてしまいます。そのことをわかっていない。

自分が納得できないと気がすまない
1年前に、「議論は新しいものを作ること」ということを思いつきましたが、私の議論の仕方での最大の欠点がありました。それは自分が納得するまで、延々と議論し続けようとするということです。

つまり、ある程度で理解しておしまいにして置けばよいのに、ある人の意見を骨の髄まで理解してしまって、自分のものにしようと貪欲になるので、議論が末梢的になおかつ、深く深く掘り下げようとします。しかも、自分が納得できるまで延々とやろうとします。

これでは、時間もかかってしまって非効率な上に、かいつまんだ話が出来ません。Academic Writingでは、そうあることは大事です。しかし、日常や会社の面接でこのようになってしまうと、うまく行かないということです。

さらに、価値基準がそういうところに置かれているので、(自分にとって)意味のない話は好きではありません。だから、社交辞令的な表面上の話はしたくない、世間話はしたくない。結局、話をわかってもらえて、自分の心の許せる、深い話のできる友達としか話さない。だから、友達のネットワークが広がらないということです。

本心でぶつかろうとする
上と関連して、私は「建前」という言葉がはっきり言って、好きではありません。もちろん、社会というシステムを円滑するためには必要なものということは、頭の上ではわかっています。

しかしながら、小説やドラマやアニメのキャラクターたちが本音でぶつかり合っているのを見ると、我々は憧れを抱きます。そのようなもにあこがれる私は、それを現実でもやろうとする。そして、人と上手く付き合えない。

しかし、よく考えてみると何故、我々がそのようなドラマに憧れを抱くのかというと、現実ではそれが出来ないからです。いつもいつもそのようなことが出来ていれば、それは憧れにはなりません。実践しても、うまく行くはずがないのです。

現実では、本心でぶつかれる人が、ほんの数人生きているうちで作れればそれでよい。そう考えておいたほうが、よいのでしょうね。

私は建前が嫌いです。最近になって、この人は本心ではどう思っているのだろうか本当に気になります。褒められても、この人はお世辞を言っているのではないかとかんぐってしまいます。本当に知りたいのは、ありのままの相手意見なのですが。心から褒めてもらえたとき、初めて心が落ち着くんですよ。

だから、自分は純粋であろうとします。実際に、大学生になって、留学したときですらも「貴方は純粋ね」といわれました。アニメやドラマでは純粋なキャラクターがしばしば、主人公になります。確かに純粋であるというのはいい事なのですが、建前で動く人間関係の中では危険性もはらんでいるということです。

建前だらけの中で、本当の自分はどこにいるんでしょうか?わかりません。だから純粋であり続けたいのですが、どうも失敗しているようです。

(無理なのに)全能かつ最強であろうする
ご存知のとおり、私はロボットアニメが大好きです。特に、合体することで強くなっていくロボットがすきなのですが、それは実は表題のようにあろうとするからではないかと思い立ったのです。

たとえば、エルドランシリーズの「キングゴウザウラー」。あれは、いたるところにミサイルやらビーム砲があるし、剣も使えるし、空も飛べます。さらに、必殺技も使って、悪者をやっつけます。このように、何でもできる「スーパーロボット」になりたいというわけです。

わかりにくい人は、野球で考えてください。私がなりたいのは、常にホームランを打って、剛速球を投げて、どこのポジションにいても確実に守れる究極の選手です。

上の話はあくまでメタファーですが、出来もしないのに、そうなろうとしているわけです。

もし、勉強ということで話を進めると、TOEICで高い数値を出す、通訳理論でも高い成績が取れて、意味論の授業でも高い点が出せる。さらに、文学の考察も出来るし、英語でない授業に関しても高い点数が取れる、ある意味で究極の学生になりたいと考えているわけです。

しかし、現実問題そうは問屋がおろしません。私がやろうとしていることは、自分より何段も上のことです。これではドンキホーテ。つまり、自分の身の丈が理解できていないというわけです。
実際、そうあれればいいですが、無理です。無理なものをムキになってやろうとするから、破綻するわけですね。

尚、さっき消費の話をしましたが、このスーパーロボット、もしくは野球選手の商品価値は「最高級に高い」です。そうだったら、スーパーヒーローということで誰からも支持を得ます。そしてより多くの人間に自分を消費してもらえる。そういう考えでいるから、こんな無茶な発想を、ムキになって実現しようとするのです。

知識を武器としてしか使わない
最近の私は、人生を「戦い」というメタファーで説明しています。死ぬまで戦い続けて、勝ち続け、自分の商品価値を高め続けなければ生きていけない。そのために、力を得ようとします。

その力を私は「知識」と思っているのですが、実はこれを誰にも彼にもかまわず振り回してしまって、人を知らぬ間に傷つけてしまう。自分の障害を壊せばいいだけなのに、その際に周りにいる人にも二次災害が起きてしまうということです。

知識はあくまで「道具」です。人の役に立つためにあるのであって、何も傷つけるためにあるわけではありません。

本当は、誰も傷つけたくないのですが、人生を「戦い」と考えてしまっている私は、無意識に他人を攻撃しているということです。

本当は、知識という道具をみんなで共有して、役に立つという発想が必要だということですね。でなければ、正義のヒーローも単なるメイワクな存在になってしまうということです。「武器」として使うにしても、みんなを守ってあげるという発想でないと・・・ということです。

いっぱい持っている道具を適材適所に使えない
上に関連した話になりますが、今まで私は自分の英語力をより高めようとしていました。そのために、大学の授業で一生懸命になって道具を手に入れていっていたのです。

しかし、私は道具をいっぱい持ちすぎて、全部使おうとしてしまう。つまり、道具を状況に合わせて選んでいないということです。

さっき、武器の話しをしましたが、私がやっているのは火薬庫が近くにあるのにミサイルを、一面にぶっ放しているようなものです。これでは二次被害が出て、下手すると自分もダメージを受けてしまいます。

さらに、道具を持ちすぎて動けていないというわけです。ちょっと、喩えを変えて服で考えると、どんな状況にも対応できるように、たんすを背中にからっていると考えれば良いでしょう。これでは、何も出来ないのは当然でよね。重武装はかえって、役に立たないということです。

現実をドラマと勘違いしている
書いていっていくうちに気づきましたが、私は、「主人公」になろうとしています。つまり、ご都合主義的に物語が進むのが当然と考えているわけです。もうちょっと言うと、私の発想は常に空想の物語的であるということ。もうちょっと、現実を見ましょうねということです。

頭でっかちになってしまって、行動が伴わない
以上、色々考察しましたが、考察しただけで止まってしまって上手く実践できません。ということで、以上の欠点を改善するよう努めていきたいと思います。
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2007年06月27日

Preparation for Presentation

I am supposed to hold a presentation of my student teacher program. As I was busy due to the program, I could not prepare for my graduate thesis enough. So, I decided to report my studnet teacher program instead of it.

Actually, I organized the presentation in Advanced English Teaching Methodology last Tueseday. This was like a sham presentation for me. I talked for 26 minutes to report the appearance of the program.

So, I decided to add a linguistic factor to the presentation. I am going to explain how the students who are not good at English learns the language. I thought that it would be disppinting to describe it only. I will use some images from a robot anime to explain the process.

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2007年06月26日

Training camp

I am supposed to go to a training camp for the exam that I will take in this month. All seniors that is going to take the exam gather and get ready for the test.

We are supposed to the activities for the paper test and the interview test, and then I will take a sham exam.

The camp will be organized next Sunday and Monday. I am looking forward to taking part in it.

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2007年06月25日

The teaching examination is getting closer

The date of my examination for educational job has been determined. The interview test will be organized on 16th of July and paper test will on 22th.

The fatal examination is getting closer...

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2007年06月23日

Taking TOEIC

I went to my university to take TOEIC IP test. Though some seniors seemed to take the exam, there were only two people, my colleague of the seminar and I, in the classroom.

The content was a little difficult. Some passages in Part6 were longer than usual and I could not answer last two questions with sufficient considerration. It seems that the score will be lower...

The score of the last score has been returned. The score was 800, which was even less than my best record. I wonder why I could not beat even myself two years ago. Didn't I go abroad to improve my English skills? Was my experience in Australia meaningless? I think my current status is platau, which means that the score gets higher at the beginning of studying, but it gets not to do so after that.

Anyway, I will keep studying and try the test until I will obtain much higher mark. (I have to defeat the teaching examination, though...)

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2007年06月22日

Fahrenheit 451 Part 2

I wrote an article about "Fahrenheit 451" last week. I finished watching the movie in today's lecture.

The last scene was different from the novel. In the novel, a big war occurs when the main character found his getaway was being broadcast.

In the movie, on the other hand, he retreated as well as novels, but he reached a small community. In the community, people memorize their favorite books comletely. After memorizing the book, they burn it. That means the person becomes the book and the book will never be deprived.

This is a utopia for the people in the world in which the books are prohivitted. This is odd for us in the ordinary world. In this way, a term "Utopia" is not absolute but comparative.

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2007年06月21日

Vs General Education for Teaching Exam

Though I have kept preparing for the teaching examination, I am getting tired at studying just my textbook. So, I went to the library in my university and borrowed the selection of past exams.

It seems that Osaka changed the tendency of the exam last year. Until 2005, the number of question is 35, including both general edcation and education knowledge.

I took a sham examination in 2005 and obtained 80%. Especially, teaching knowledge test is very easy if we read the passage carefully and connecting it with your knowledge.

Though I have got some confidence for the test, I can not be optimistic. I will keep studying.

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2007年06月20日

The number of visitors is increasing

Though I do not update intersting articles recently, the number of visitors is increasing.

Oddly, a lot of people visit comment form without an article. I do not think they can visit it without any program...
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2007年06月16日

Region Code Canceller

As I wrote before, DVD driver has a region code. If the code of DVD and driver differ, the device does not read the DVD. This is to protet the copy rights of movies, and I am sometimes annoyed at this system.

I searched for a DVD cancellor, and found a good DVD player software. That is VLC player. This free software enables us to watch DVD, taking away the barrier of region code.

However, the device does not work. I searched for English web site and found the reason. Actually, my computer has Matsushita DVD Ram UJ-841S. Matsushita's DVD Ram is not affected by effect of software cancelling region codes. To solve the problem, I must watch the DVDs fitting to the region code of device...

Anyway, my dream that I watch anime DVDs from foreign countries has been defeated...

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2007年06月15日

Fahrenheit 451

Today's Advanced British and American literature treated a famous science fiction novel in America. That is "Fahrenheit 451".

The story describes significance of books. In this world, reading letters is prohibitted by the government. People just watch the movies on TV. Even newspaper is drawn by picture, and no letter is used. If a person owns a book, fire-fighters come to burn the book. One of the fire-fighter, who are expected to promote begins to doubt the behoviour of the government and to read books.

I know the this novel because this book appeared in "Brave Fighter Exkizer". In the anime, the book tells the temperature for books to burn. Yes, "Fahrenheit 451" is the temperature for books to burn.

The back ground in which the book was written is spread of TV programs. The author was worried that TVs would destroy the literature. In fact, people in this book is in sick due to watching TV for a long time. They cannot memorize something because of lack of letters.

I would like to read this book because I just watched the movie.

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2007年06月13日

My friends in Australia

My friend uploaded movies of Yu-Gi-Oh! National tournament. There is no movie of the matches; but I am glad to see their fine appearence even in Japan.

These are the movies.

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2007年06月11日

Drinking Party with My Friends

I went drinking with my friends today. I was a little tired because I had a driking party yesterday.

They graduated my university and are searching for their job. It seems hard to obtain a job after graduation.

We went to a Karaoke shop near my university and sing a lot of songs. Then, I was absorbed in singing songs so much that I did not leave the shop even at the departure of the last train. Eventually, I had to stay at a comic cafe and take part in the class on the next day.

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2007年06月10日

Drinking Party with Student Teachers

I took part in a drinking party with my colleagues of the student teacher program. This is the first time to have such a party with my friends in my high school.We went to a restaurant treating the fries such as chiken, poke and so on.

We enjoyed chat about our high school period having the fries. I did not know that there are a lot of romantic issues exist in my high school period. As I am not so interested in the talk about female, it is natural that I did not know that.

Though the program was very tough, it became a significant experience for me.

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posted by ブラック・マジシャン at 23:59| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月08日

教育実習終了!

今日付けで教育実習が終了しました。激戦の10日間でしたが、色々考えさせられることが多かった2週間でした。

大学でやってきたことを上手く実践しようとしましたが、やっぱり現場と座学は違うことのほうが多いです。教育理論が色々言われていますが、まず教員は、授業を受けさせて目の前にいる生徒を満足させることを考えないといけません。あの教授法がいいといわれているから、それを使うというわけではなくて、目の前にいる生徒に何とか1を理解してもらう。どんな子にもわかってもらえるようにしないといけない。ゆえに、柔軟性がいるし、常に研修の必要があるのです。

一つ、自己反省としては、自分はいつの間にか「点数主義者」そして「勝敗主義者」になっていたことです。「TOEICで高いスコアを取る」、「採用試験に合格するために高い点数を取る。」「あいつに勝つ」
こんなことばかり心の奥底で考えていたので、授業中に本心がポロリと出てそれを先生に指摘されました。みんながみんな、TOEICで900オーバーする必要はないし、そのように均質化させることは無い。
教育の目的は、一人一人の個性を伸ばすことなのだから、安易な「点数主義」や「勝敗主義」に走ってはいけないんだということに気がついたのです。

大学全入時代といわれていますが、偏差値の高い学校だけに行かせるのが、学校教育の目的ではない。真の目的は、一人一人の生徒が自分の行きたい進路を選び出させること。学校は、さまざまな進路を生徒に提供することにあって、ただ単に大学に行かせるだけが目的ではないというわけなのですね。

色々大学で考えて、母校の先生にぶつかって行きましたが、やはり私の恩師は恩師でした。自分の母校の高校で、教育実習が出来てよかったです。この経験を次につなげれればと、思います。
posted by ブラック・マジシャン at 23:59| 兵庫 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月01日

教育実習途中経過

英語でも書いたとおり、ただいま教育実習中です。仕事上、色々言ってはマズい事もあり、念のためにブログの更新を一時期止めております。

この期間は、自分が教員になるために必死になってやっています。客観的に見ると、結構生意気な状態になっているときもありますが、先生らも熱意を買った上で、頭ごなしに怒らずに注意してくださるので、とても感謝しています。

今日は、初日から授業して生徒と向き合って、先生に言われたことで特に重要なものを書いていきます。

授業の目的をはっきりさせる
まず、指導案で本時の目標(Overall Objectives)という項目があります。これをはっきりさせた上で「何」を伝えるかを留意しながら授業を展開する必要があります。

これは頭ではわかっていたのですが、この目標を達成するために指導案を作ってやることを決めるのですが、机上で作ったことですのでズレが生じてきます。適当なところで妥協するか、指導案とズレつつも目標を達成するかが争点になります。

授業はあれ「か」これ「か」
私のコラムを見ればわかりますが、私の場合、一つのトピックに対してさまざまなことを伝えようとしています。たとえば、あるキャラクターの劇中での位置づけ、バンクシーンはどうかなどなど、とにかくてんこ盛り。あれもこれも読者に伝えようとしています。

しかしながら、授業でこれをやろうとすると破綻してしまうのです。たとえば、私の授業の場合、本時の目的で「never... untill~を理解する」と書きましたが、1個の授業で「意味を理解する」、「見て訳せる」、「自分で書ける」・・・なんてことをやらせようとするので破綻する。理想は全部できるようになるべきなのですが、初学者には土台無理な話です。そんな彼らに、細かいところまで、すべてを末梢的にするから生徒が付いて来られずに、満足させることが出来ない。・・・というわけです。

私の場合、一つ一つの武器を多く手に入れた上で、さらにすべてを極めようとします。大学の授業では、そのつもりで授業に臨んでいるのです。そういう姿勢も必要なことは必要なのですが、重武装になりすぎて、結局動けなくなってしまう。
武器が多いのは選択の枠を広げるためで、相手にあわせて「選び取る」ことをしなければなりません。全部使ってやると、chaosな状態になるわけですね。

授業は1vs40ではない
教師は、controllerでありorganizerでありtutorなどであるとHarmarは言っていますが、私の場合、controllerの仕事とobserverの仕事が非常に苦手です。それは全体的に見ながら、末梢的になるからです。つまり、「木を見て森を見ず」という状態ですね。また、「森を見て木を見ず」という状態になることがあります。つまり、全体を見通すべきところで見ず、個別に見るべきところで見れていないというわけです。

考え方としては1vs40ではなくて、1vs1が40本あるという考えでいないといけません。全体だけで見るだけでも駄目だし40本ある1:1の関係を一つだけ見るのも駄目・・・ということですね。

残り5日ありますが、全力を尽くします。
posted by ブラック・マジシャン at 00:00| 兵庫 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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