この期間は、自分が教員になるために必死になってやっています。客観的に見ると、結構生意気な状態になっているときもありますが、先生らも熱意を買った上で、頭ごなしに怒らずに注意してくださるので、とても感謝しています。
今日は、初日から授業して生徒と向き合って、先生に言われたことで特に重要なものを書いていきます。
授業の目的をはっきりさせる
まず、指導案で本時の目標(Overall Objectives)という項目があります。これをはっきりさせた上で「何」を伝えるかを留意しながら授業を展開する必要があります。
これは頭ではわかっていたのですが、この目標を達成するために指導案を作ってやることを決めるのですが、机上で作ったことですのでズレが生じてきます。適当なところで妥協するか、指導案とズレつつも目標を達成するかが争点になります。
授業はあれ「か」これ「か」
私のコラムを見ればわかりますが、私の場合、一つのトピックに対してさまざまなことを伝えようとしています。たとえば、あるキャラクターの劇中での位置づけ、バンクシーンはどうかなどなど、とにかくてんこ盛り。あれもこれも読者に伝えようとしています。
しかしながら、授業でこれをやろうとすると破綻してしまうのです。たとえば、私の授業の場合、本時の目的で「never... untill~を理解する」と書きましたが、1個の授業で「意味を理解する」、「見て訳せる」、「自分で書ける」・・・なんてことをやらせようとするので破綻する。理想は全部できるようになるべきなのですが、初学者には土台無理な話です。そんな彼らに、細かいところまで、すべてを末梢的にするから生徒が付いて来られずに、満足させることが出来ない。・・・というわけです。
私の場合、一つ一つの武器を多く手に入れた上で、さらにすべてを極めようとします。大学の授業では、そのつもりで授業に臨んでいるのです。そういう姿勢も必要なことは必要なのですが、重武装になりすぎて、結局動けなくなってしまう。
武器が多いのは選択の枠を広げるためで、相手にあわせて「選び取る」ことをしなければなりません。全部使ってやると、chaosな状態になるわけですね。
授業は1vs40ではない
教師は、controllerでありorganizerでありtutorなどであるとHarmarは言っていますが、私の場合、controllerの仕事とobserverの仕事が非常に苦手です。それは全体的に見ながら、末梢的になるからです。つまり、「木を見て森を見ず」という状態ですね。また、「森を見て木を見ず」という状態になることがあります。つまり、全体を見通すべきところで見ず、個別に見るべきところで見れていないというわけです。
考え方としては1vs40ではなくて、1vs1が40本あるという考えでいないといけません。全体だけで見るだけでも駄目だし40本ある1:1の関係を一つだけ見るのも駄目・・・ということですね。
残り5日ありますが、全力を尽くします。